折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★

Amazonレビュー下書き01

わたしは8年くらい前から、作家宮本輝さんの公式サイトに参加しBTCという掲示板に、ときどき書込みをしている。直近の書込みで、その「ひとたびはポプラに臥す」の長いレビューを書く、と宣言していた。10年以上、その本の書込みがなく、それはいかかがなものか、と思ったことと、何がしか、輝先生の恩に報いたいとも思っての宣言でもあった。

それと、この「ひとたびはポプラに臥す」は新宿図書館が廃棄図書としてあったので、そっくそのままいただき、犬の散歩のときなどに読んでいる。決して侮ってはいない。散歩のときの本としては、かなりよく親和する。リズムが合うのだ。アンダーラインもバシバシしているので、読み直しの橋頭堡になり、心地が良い。

そこで、レビューの書き込むにあたり、下書きの場に、このブログを利用することにしよう。以下はその下書き、になる。

1.宮本輝さんたち一行は1995年5月25日から40日間かけて、西域、その南山街道を走破した。輝先生の目的ははただ一点「五十歳で長安に入った鳩摩羅什が、いかなる生活をおくりながら、超人的ともいえる膨大な仏典翻訳活動に邁進したのか、、、」その動機を知りたいという関心にあった。それを北日本新聞社が支援して、始まった旅行記である。したがって写真が秀逸なのは、その新聞社のカメラマンが同行しているから、できた技なのだ。

2.さて6700kmの長旅の間、絶えず不思議な虚しさにあった、と輝先生はいう。そして「まだ正確に分析できないでいる。おそらく、生涯、あの虚しさの理由は言葉にできないような気がする」という。私は、正直な感想と受け止めた。仏塔などの遺跡に、興味を示さない輝先生なのだが、その気持ちは私にもあり、すぐ感情移入できた。はたして22年たった2017年の今、輝先生はあの旅をどう思われているだろうか。

3.こと宮本輝さんの本に限ってだが、わたしは自分の経験に引き寄せて、考えてしまう。この本にしても、感想の前に、まずは自分の体験、1999年の秋、米国の西部1900kmを、1週間かけてバイクで走破したことが重なってしまう。無論、C型肝炎の自分が一人でできたわけではなく、ツァーに参加させられただけ。誘ってくれた先輩は直前になってバイク事故で不参加、、なんだよーという感じで、迎えたバイクツーリングだった。その時の写真を見てもわたしの顔は肝臓病患者そのもだった。そうした辛い長旅を「ひとたびはポプラに臥す」に重ねて、感慨にふけってしまうのだ。

4.まずはじめの感想は、水と食べ物と排便環境の艱難辛苦であり、NHKのシルクロードのドキュメンタリーなど絵空事のように感じた。食べ物に、生活用水の悪臭が醸し出してくるのだ。さもありなん、日本のような流れる水はないのだから。原子炉廃棄物と似て、下水溝のない水洗トイレのような地帯が西域なのだと感じた。清潔は、砂漠の熱さにあるだけだ。

5.便所の話のところで、板橋の花火大会で体験した、ささやかなこの世の地獄、とことん汚れた公園の公衆便所を思い出した。肝臓病患者など西域に行ってはならい不安全地帯にほかならない。「シルクロードというものをロマンチックに伝えやがったのはどこのどいつだと怒鳴りたい気分です。」これは輝先生の本音だ。

6.小林秀雄の徒然草のことや、輝先生の断想がちりばめられ、心に響くものが多々あるが、とりわけある少女の描写が響いてきて、心のおりのように沈殿している。。それを転記して①の感想を綴じたい。74~75頁にある。

「どのくらい尾根と谷を超えたかわからなくなったころ、静まりかえった村に入った。黄色い土壁と瓦屋根の農家には、ニンニクとトウモロコシが干してあり、洗剤で洗ったことは一度もないのではないかと思えるほどに黄ばんだ下着が紐に吊るされ、その下で女の子がひとり遊んでいる。

木の枝で庭の土に何かを描き、ひとりごとを言いながら、ときどき洗濯物を見上げる。そしてまたしゃがみ込み、土に何かを描く。

村には、女の子以外、人の気配はない。

私は車の窓から振り返って、その七、八歳の女の子を見つめた。女の子は洗濯物と話をしていたのだった。

誰もいない村の昼盛りのなかで、洗濯物と会話する少女、、、。」


わたしの心に、映像のように広がり、消えることはない。この本を象徴するポプラととともに、、、


以上、ひとまずAmazonレビューは、これで行こう。。

すい臓がんのMさんのこと

2月に近況のやりとりをした、すい臓がんのMさんの、その後の経過について、より強い抗がん剤を始めておられるのか、知りたくなって、メールを送ると、次の回答があった。

メールありがとう。私も連絡したいと思ってました。(以心伝心)実は、入院してます。でも、おかげさまで金曜日に退院します。

すい臓がんカフェで、強いアブラキサンの話を皆さんから聞いて、私も決心してすっぽり被るウィッグの用意までしたのょ。
リンパ節に転移の疑いありで、PETCTを強く勧めますとの診断だとまでが、前回のメールです。

決心して、用意して臨んだペットの診断結果⇒なんと、光っていたのは、肝臓に転移巣有り。先生が、開口一番手術するか? えっ(?_?)出来るんですか?と私。結果的に、3/29手術できたんですょ。

前日、説明を聞いたとき、すい臓がんの転移肝癌で、手術を選択する人はあまりいない。(先生も、心配だったのでしょう)大抵の場合他にもポツポツと転移があるのがふつうで、もし、開けてみて、他にもあったら、手術はしないからと言われてました。翌日の手術。転移は一個だったので、手術したよ、と、いわれました。

その後は、数日は、具合悪い日もありましたが、管も少なく、一日二日でとれ、月曜日の朝は、お腹がすき、食欲もあり、もう退院できると言われて、金曜日に帰ることにしました。

今日は、退院後のリハで、新橋まで外出し、帰りにカフェラテまで飲んできました。
こんな、うれしいことはありません。少なくとも、来年の3月まで決まっている仕事は無事果たせそうです。有りがたい。けさも、先生とこの先の治療をどうするか?考えようという話をしました。何もしないという手もあるが、今回のように、転移しやすいというのが、すい臓がんだからって。ちょっとは、休んでも、何らかの予防はしなければならないだろうとおもいます。

でも、いきなり、必要ないのに、強い抗がん剤も必要ないとおもいます。プロポリス思い出して、勤先生に聞いて見ようかな?と思ってました。毎日、日に日に力がみなぎってきますよ。不安を感じて、躊躇っていたものも無くなり、少し休んだらゆっくり仕事を再開します。


肝臓に転移していたとは、、ステージ4のど真ん中に、Mさんはおられる。けれど、文章は暗くはない。QOLの意識が高い。それが救いだ。これから先、どう立ち向かうか、エビデンスなんか無視して、グライダー飛行のように自然治癒力の気流をとらえ、滑空する、、そういう闘病も、、ありだろう。

とりいそぎ、肝がん手術をして5年が経ち、再発がないサニーサイドさんのことを伝え、肝臓の転移はもう大丈夫かも、希望がもてますよと書き、そしてプロポリスについては、松野哲也博士のブログを知らせ、飲んでみる価値は十分にあると伝えた。

シンプロポリスをすすめた。もう一つ、別のプロポリスも飲んだ。相性の問題だが、シンプロポリスの方が品質がよかった。

佐藤優「先生と私」を読了した

1.このブログは、長いことコメントをいただけてなかったが、今日、superpesonさん という、初めての方からコメントをいただいたとわかり、素直にうれしかった。C型肝炎治療の、武蔵野赤十字病院から国府台病院へと、最終段階の病歴が、私とよく似ておられた。多くの方々と同じように、superpeson さんもSVRになられている。あらためて、ハーボニーに感謝。

superpeson さん、いつか吉祥寺あたりで、お会いしたいものですね。わたしはいつも、立野町から成蹊大学わきにある半キロくらいの直線の道路を自転車で通り抜けると、吉祥寺に来た感じがします。

2.このところ、Amazonプライムで映画を見ることが多い。DVDで所有するという意味がどんどん希薄になる感じがする。
①「ミレニアム、ドラゴンタトゥーの女」を再び見たが、やはり小説の方がいい、
②「13時間」という、2002年9月11日リビアの米在外公館が襲撃された事件を扱った映画。傭兵の元軍人たちのアラモの砦のような話で、壊滅は免れた。
③「ビューティフル」・・・もう何がなんだか、美しくない映画だ。
④「エクスマキナ」・・・脇役で出ている日本人ハーフの女性が美しい。

3.元外務省主任分析官で、佐藤優さんという作家がおられる。この方のラジオのコメントはネットでチェックして聴くようにしている。そのインテリジェンスを聴きたくなるのだ。惹きつける何かが佐藤氏にはある。今佐藤氏は、曙橋あたり住んでおられるようだ。たしか、肺がんでなくなった戸井十月さんも曙橋に住んでおられたな、、実はわたしも半年ほど住んだことがあるので、その街の空気感はわかる。

4.今朝から、佐藤優氏が書かれた「先生と私」を読んでいる。大宮の公立中学から県立浦和高校に入るまでの話。義務教育時代に佐藤優という人間が、どう出来上がっていくのか?その根っこに、誰がいたのか知りたかった。中学1年の塾の国語教師と数学教師の出会いが決定的だった感じがした。教師の氏名は明らかにしていないが、その指導方法がいいのだ、、自分も受けてみたいと思った次第。

4-1.佐藤優氏と五木寛之の対談本で、その国語の塾教師は、岡部宏という人だった。但し、検索をかけても、あらわれない。市井の人として、無名を貫かれているのかもしれない?

5.追記、、5日に「先生とわたし」を読了した。落ち着き払っていて、もの怖じしない佐藤氏の目の力は、すでに、中学時代にはあらわれていたのではないか、、と思えた。私より6歳下だが、その時代の空気感は同じものだったに違いない。学生運動の最終局面、連合赤軍あさま山荘事件のころに、佐藤さんは中学に入っているわけだし。理系から文系への関心のシフト、、キリスト教とマルクスとロシア語に強い関心を持っていて、向学心はひたぶるなものがあって、こりゃ、脱帽だ。

6.あっ、思い出した。あさま山荘事件で殉職した機動隊員の一人が、わたしの中学の同級生の父親だった。家も覚えている。一度だけだが、挨拶したこともあった。リアルタイムのテレビ報道の画面でその名が出たとき、すぐに彼の父親だとわかった。クレーンで釣り上げたボーリングで、山荘の壁を破壊する様もを見ていて、なんともいえない「やるせなさ」を感じていた。あの過激な人たちを一方的に非難はできない自分がいた。あの異様な光景は、反体制にとって、流血革命の蹉跌だった、、

1990年代に、和美峠近くをツーリングしていて、忽然と、あさま山荘を見えたとき、思わず声を上げた。あそこにあったんだ、、最期の砦にした連合赤軍の心境が、わかる気がした。負の大団円、、騒擾の舞台にふさわしい、屹立した場所だった。

7.戻る。その先生とは、一人の師ではないのだ、両親、叔父、牧師、塾講師、大学教授、中学の担任教師みんなが、佐藤さんにはかけがえないの先生だったとわかった。それと、沖縄や北海道で出会った人、旅そのものもまた、偉大な先生だったとわかる。

8.塾の国語教師は、佐藤さんたち中学1年の塾生に、島尾敏雄の「出発は遂に訪れず」の授業をする。ホワイトボードに現実存在と書いて「実」と「存」に○をつけ、こう解説する。
「実は、“ある”ということは、とてもむずかしい概念だ。私自身の人生は1回しかない。また、いまこうして、みんなと勉強しているこの瞬間も1回しかない。そして繰り返すことができない。この1回、1回を大切にしていくことが実存なのです。島尾敏雄の小説、戦争の特攻のような経験をすると、誰もが実存について考えざる得なくなる。こういうことを中心に考える哲学で、実存哲学というものがあります。サルトルとカミュが中心人物です」と。すると、、ある女子生徒が「島尾敏雄の特攻体験は、ドストエフスキーの体験と重ね合わせて、理解することが適切でしょうか」と質問する、、のだ。P104も、ここのくだりは圧巻だった。

中一の生徒たちがそんな質問、、自分の中学時代を振り返って、、ありえない。
わたしの場合、島尾敏雄の、その小説は、高校出て10年後に母校の国語教師、北上先生を囲んで輪読会をやったときに、課題となった小説だった。28歳のときでさえ、島尾敏雄の文章のリアルさ、きな臭さを感じてはいたが、「実存」という言葉は思いも浮かばなかった、のだから。

そうして今、確信した。できるだけ「正確な質問をすること」、、人生は、いかに正しく問うかが大事になる。これから先、生き方の中心において、意識しよう、、実際そうしてきたわけだし、グーグルの検索にしても、どういうキーワードを入れて尋ねるかによって、結果は千差万別だし。。

するとカルロスゴーンがこういっているのが、検索でわかった。
正確な質問をすれば、正確な答えが返ってくる。
曖昧な質問をすれば、曖昧な答えしか返ってこない。

まぁ、月並み言葉ともいえるが、、それは、わたしの言いたいこととは、微妙に違う。正確な答えが直ちにかえってこなくてもいい、時間がかかってもいいのだ、、質問したことを記憶してさえいれば、、

わがワークシフトとライフシフトのこと

以下はコピペのメモである

「ワークシフト」の著者リンダ・グラットンの分析、論理的提言

個人個人が未来の世界でニーズが高まりそうなジャンルと職種を選び、高度な専門知識と技術を身につけることが不可欠。

ただし、高度な専門技能を習得するには1万時間という膨大な時間を要するという説もあり、仕事で時間に追われている限り、なかなか身につくものではない。

独立してミニ起業家になるといった選択

大量消費社会に終止符が打たれるかもしれないのだ.

仕事の世界には3種類の『資本』が必要とされる。明るい未来を切り開くためには、これを『シフト』させなければいけないというのが本書の提言だ。

まず第一に「知的資本」のシフト。
昔は幅広い分野の知識と技能をもつゼネラリスト的な人材が評価されたが、グローバル化が進展した未来では、同程度の能力をもつ人が世界中に大勢いるため、専門分野の技能を深め、自分を差別化しなければいけない。これが「第一のシフト」である。

第二が「人間関係資本」のシフト。
職場の人間関係がなくなり、孤独が深まっていく未来の世界では、生活に喜びを与えてくれる深い人間関係や、多様な情報や発想に触れる広く浅い人間関係など人的ネットワークを意識的に築いていかなければいけない。こうした人とのつながりによってイノベーションを成し遂げる姿勢。これが「第二のシフト」となる。

第三は「情緒的資本」のシフト。
古い仕事観では「仕事」とは単にお金を稼ぐことを意味していたが、前述のアメリカ人夫婦(バングラディシュでボランティア)のように、どのような職業人生を送りたいかを真剣に考え、情熱を持って何かを生み出す生活に転換すること。これが「第三のシフト」だ。


2.さらに、リンダ・グラットンは「ライフシフト」を書いた。以下もコピペ

今回のテーマは「100年時代の人生戦略」である。
これからを生きる私たちは、長寿化の進行により、100年以上生きる時代、すなわち100年ライフを過ごすこととなる。新しい人生の節目と転機が出現し、「教育→仕事→引退」という人生から、「マルチステージ」の人生へと様変わりする。それに伴い、引退後の資金問題にとどまらず、スキル、健康、人間関係といった「見えない資産」をどう育んでいくかという問題に直面するというのが著者の見方だ。ロールモデルもほとんど存在しない中で、新しい生き方の実験が活発になることは間違いない。また、生涯を通じて「変身」を続ける覚悟が問われると言ってもよい。

今後どんな時代が訪れ、どんな生き方を模索すればいいのか。その際、どのような有形、無形の資産が重要性を増すのか、どんな人間関係を築いていけばいいのか。企業や政府が取り組むべき課題は何か。本書は、こういったテーマと向き合うための手がかりを、豊富な「人生のケーススタディー」とともに与えてくれる。読み進めるにつれ、「自分は何を大切に生きているのか」「何を人生の土台にしたいのか」と自問せずにはいられないだろう。
これまでの成長至上主義から脱却し、自分らしい人生の道筋を描くための羅針盤として、何度もお読みいただきたい。 (松尾 美里)


3.さて、62歳の私はどうとらえるか。現在、下流老人のカテゴリーに入るのだろうが、病気を克服し、働く意志は十分ある。子どもは小さいのが二人。家内は連日、怒りっぱなしだ。病気は過去のこと、考慮など微塵もない。さてさて、、

この先、死ぬまで、健康を保ち、ずっと変容し、生成し続けること、、西荻窪の安藤久蔵さんが、目指すモデルだ。安藤さん106歳になられたはず、、どうしておられるだろうか、、

4.1980年から約3年間働いた、新橋にあった中小企業は、2013年5月に倒産していた。原因はおおよそ見当がつく。そこに居続けていたら、還暦間近までいることになり、いっそう悲惨だった、、ことだろう。その頃の人の顔が浮かぶ、みなさん健在だろうか、、

一生同じ会社にいるなんて、いよいよ、昭和の共同幻想になるだろう。

乾癬、貞永式目その他雑感

1.今年はまだ四分の一を過ぎただけだが、今年の流行語大賞に「忖度(そんたく)」がノミネートされるのではないかな。もしかすると、民間もそうだが、中央官庁のような権力の集中する環境においては一段と、安倍首相をはじめ上司に気に入られたいと、忖度すること、そのことこそが、犯罪や逸脱に走らせる大きな原因なのではないか?と素朴に思えた。

それにしても100万円の寄付行為の有無がこれほど真っ向から対立することなんて、あるのだろうか、安倍さんの選挙区外であり、刑事訴追になるわけないわけで、「藪の中」には何もない。野党が安倍さんの道義的責任の追及に、躍起になっているだけだ。

2.ハーボニーを飲み終えたのが2016年2月8日で、1年以上経過したが、ここに来て体重が67kgと3kgくらい重くなっている。原因はまず、肝臓の正常化によると考えているが、歩かなくなっているから運動不足にも、あるだろう。。

胴回りにぜい肉ついている。還暦をすぎ、やたら体重が減ることは好ましいことではないとわかっている。65kgくらいがいい。

年をあけた頃から、やや乾癬が目立つ。体重の増加と少し関係があるのでは、と思っている。ヘパリン類似物質というクリームは、やはり塗らないといけないな。

3.長女は小学5年が終業し、4月から最終学年になる。担任の田代先生も、どうやら代わる感じがする。たぶん当初採用された品川区か、戻るのではないかと思う。その方がご自宅から近くなるだろうし、ご自分の子どもの、保育園の送り迎えがラクになるにちがいないと推察。

4.2歳の次女は、ずいぶん言葉を覚えてきた。「なんだこれ~」「じぶん、じぶん」「アンパンマン、書く~」「はんぶんこ」「あーさいよ(うるさいよ)」、、、今家でのお気に入りは、勉強用の椅子に乗り、回転させることだ。目が回るのがおもしろいらしい。

5.今、本は鎌倉時代の華厳宗の明恵という僧侶について、読んでいる。心理学者の河合隼雄が書いた「明恵、夢を生きる」が、おもしろいのだ。

明恵は清僧だった。それは死に際でわかる。その立ち居振る舞いが美しい。こうだ、、
「今ハ臥シヤスムベシ、ソノ期近ヅキタリト覚ユ、カキオコスベカラズ」と言い、右脇臥に臥した。

弟子の定真が「ソノ期スデニ近ヅキ給ヘリト見ユ」と告げると、目を見開いて 「其ノ事ミナ存知スルナリ、又年来習学シテ 思惟観察セシトコロノ法門 コトゴトクミナ心ニ浮ビテ 一事モワスレザルナリ」と言って目を閉じた。

弟子の喜海が枕元近くによってくると、かすかな声で明恵は「我、戒ヲ護る中ヨリ来ル」と告げた。これが最期の言葉だった。そうして

「其ノ後ソノ形チ 歓喜ヲヨソヲイ タチマチニ顕ハレ、 微咲ヲ含メルガゴトクシテ エンゼントシテ寂滅ス、春秋六十埃 、同廿一日夜、禅堂院ノ後ニ葬斂(そうれん)ス、ソノ間 形色 アヘテアラタマラズ、眠レルヨソヲヒニ コトナラズ、又十八日の夕方ヨリ異香恒ニ匂フ、諸人多ク嗅グ、葬斂ノ後両三日の間、異香猶ヲウセズ」


明恵は命懸けで、多くの人、とりわけ多くの女性たちをを助けた。法華経の行者でなくても、現象として、成仏相は疑いないだろう。陰徳あれば陽報ありの人生。

新鮮だったこと、貞永式目をつくった執権、北条泰時は明恵を、人格的に、心服していたことだ。貞永式目は「ただただ道理をあらわしたのだ」と北条泰時は、北条重時宛への手紙に書いている。くわしくはこうだ、、

多くの裁判事件で同じような訴えでも強い者が勝ち、弱い者が負ける不公平を無くし、身分の高下にかかわらず、えこひいき無く公正な裁判をする基準として作ったのがこの式目である。京都辺りでは『ものも知らぬあずまえびすどもが何を言うか』と笑う人があるかも知れないし、またその規準としてはすでに立派な律令があるではないかと反問されるかもしれない。しかし、田舎では律令の法に通じている者など万人に一人もいないのが実情である。こんな状態なのに律令の規定を適用して処罰したりするのは、まるで獣を罠にかけるようなものだ。この『式目』は漢字も知らぬこうした地方武士のために作られた法律であり、従者は主人に忠を尽くし、子は親に孝をつくすように、人の心の正直を尊び、曲がったのを捨てて、土民が安心して暮らせるように、というごく平凡な『道理』に基づいたものなのだ。

山本七平は貞永式目は日本的革命のエッセンスなのだと指摘している。世界的に見ても希な法制だったとし、思想的バックボーンに明恵がいたと山本七平は見切っている。実に新鮮。

明恵は、日蓮が10歳になったときに亡くなったが、二人には通底するものがあったと、わたしはみている。明恵が親鸞のように90歳まで生きていたなら、二人はきっと対面していたはず、、華厳は深淵であり、日蓮はさまざま引用されておられる。もし対面していたたら、にぎやかに、華厳対法華の、深くかつ真剣な宗論を交わしていたと思う。

これはわたしの勝手な史観だが、道理の一端である貞永式目が日蓮を法難から守ったのだとみる。
竜ノ口で、日蓮が首をはねられる法的根拠なぞ、貞永式目にはなっかったのだ。弟子の四条金吾に書いた「仏法は道理」という日蓮の言葉と、北条泰時の「道理」は響きあうものがある。明恵と北条泰時と日蓮という系譜はあるように、感じる次第。

やっぱしハイファイセットはいい

「知恵袋」の問いにこういうのがあった。

このCMソング知っていますか?
昔の明治のアーモンドチョコのCMで、「風~と虹~は、鳥~と森~は、夢~と歌~は、いい友~」という曲があったと思うのですが、このCMソング知っていますか?歌手名と曲名がわかりません。誰か教えてください。




というCMだが、知恵袋の回答はマトを得ていなかった。

それにしても、懐かしい。CMソングだから全貌はわからない。というか、オリジナルCM曲であって、「全貌はない」ことを知っている。実は、作曲した人は堀口和男という、わたしの高校時代からの友人だった。

歌っているのはハイファイセットの山本潤子さんと、教えてくれた。この曲はたしか堀口のだったよな、と思い出し、さっきショートメールでやりとりして確認した次第。こうだ、、

「あのさ〜、昔のCMで、明治チョコレートの、風と虹と、で始まる曲は、堀口の作曲だったよね?」

『そうよ』

「あらためていい曲だと思いました。で、誰が歌ってるの、あの女性の声は?」

『ハイファイセットよ。』

「やっぱし、納得です。ハイファイセットは、なんだかんだ、やっぱりいい。ありがとう」

『こちらこそ、ありがとう。その曲忘れてた。』

堀口は80年代の終わりの短い期間だったが、REICOというデュオをやっていた。相方は田口俊という人だった。アルバムを二枚作ったと思う。

あぁ、次第に思い出してきた。西新宿のホテルで田口俊氏の結婚式に出たのだ。ユーミンがいて、ハイファイセットが来ていた。そういえば「水色のワゴン」の作詞は田口俊だった。堀口が運転するクルマのなかで、その詞がうまれたときの模様を、田口さんは話してくれた。その目は遠くを見つめキラキラしていた、、あっ、詩人の目だな、、

水色のワゴンが 追いこしていったら
思わず声あ 夏の高速
海がえりの車 ゆっくりかきわけて
ふるさとのナンバープレート どこまで行くの?

このままずっと 追いかけたいね
懐かしい街角 とおってきたの?

結婚式の招待状が
5月に あの子から 届いたきりね

初恋や卒業 いろんな思い出が
スモールランプ浴び 流れてゆくよ

古い仲間と電話のあとは
アクセントがかわるって笑うあの人

このままずっと 追いかけたいね
懐かしい街角 行ける気がして

出口まで3km ワゴンともおわかれ
渋滞の都心へもどってゆくよ

水色のワゴンが 運んできてくれた
生まれた街の風 夏の高速
Wonderful Summer
Twilight Free-way

作詞 田口俊
作曲 山本俊彦




戻る、、その結婚の宴で、ユーミンは蘇州夜曲を歌われた。ハイファイセットの三人もアカペラで歌っておられたが、曲名は覚えいない。なんとまあ近くで、聴けたことなのだろう、、

わたしの青春は、ハイファイセットの歌ともにあったんだな、とあらためて気づいた。ユニゾンでなく、ハーモニーとはこういうコーラスでないと、内部に沁みわたっていかない。

いま、そばにいた11歳の長女が、「昭和っぽい」と言って遠ざかっていったが、、この懐かしさがわかるわけない、、

追記、、最初のCM曲に戻る。歌詞は誰なのか知りたくなった。

「おはよう、昨日のCMのことだけど、あの作詞は誰がしたの?」

『作詞は田口だよ。』

「ありがとう!そうか二人でやっていた頃のオファーか、、いやいや、いい話のオチだ。今ね、そのことをブログに残しておきたくなったんだ、、あのCMがいいと思う人が、たぶん、きっと、いるからね、、」

宮本百合子とマルグリット・オードゥー

2月19日、長女の合唱団の発表の付き添いで帰りに、東府中駅にのったとき、反対側の席で、宮本太郎氏が新書本を読んでいるところに遭遇した。ずいぶん前に亡くなられた宮本顕治氏のご子息で、どこかの大学教授だが、顕治氏の政党を支持されてはいない。宮本太郎氏は細面で、身長は180センチくらいにみえた。宮本顕治氏の後妻のお子さんのようだ。先妻の宮本百合子さんとの間にはお子さんはおられなかったわけだ。

そのころキンドルで、宮本百合子の「知生の開眼」を読んでいたので、瞬間、ささやかな共時性を感じていた。で、その本の冒頭に、結論が出ている、、こう書かれている。
知性というとき、私たちは漠然とではあるが、それが学識ともちがうし日常のやりくりなどの悧巧さといわれているものともちがった、もう少し人生の深いところと関係している或るものとして感じとっていると思う。教養がその人の知性の輝きと切りはなせないように一応は見えるが、現実には、教養は月で、知性の光を受けることなしにはその存在さえ示すことが出来ないものと思う。教養ということは範囲のひろい内容をもっているけれども、そういう風な教養は外から与えられない環境のなかで、すぐれたいい素質として或る知性を具えているひとは、その知性にしたがって深く感じつつ生活してゆく間に、おのずから独特な人生に対する態度、教養を獲えてゆくという事実は、人間生活の尽きぬ味いの一つであると思う。
 この人生への愛。ひとと自分との運命を大切に思って、そこから美しい花を咲かせようとつとめる心。そのためには自然欠くことの出来ない落付いた理性の判断と、柔軟溌溂な独創性、沈着な行動性。それ等のものが、知性と云われるもののなかにみんな溶けこんでいて、事にのぞみ、場合に応じ、本人にとっては何か直感的な判断の感じ、或はどう考えてもそうするのが一番よいと思えるというような感情的な感じかたで、生活に作用してゆく。知性というものは抽象の何ものでもなく活々としてしなやかなダイナミックな生活力そのものにつけられた名である。


そうしてこの本の中で、マルグリット・オードゥー(フランス語:Marguerite Audoux)というフランス人女性作家をとりあげている。自分のためだけに小説を生涯で3冊、書いたという。1863年7月7日 - 1937年1月31日の一生だった。宮本百合子さんは、次のように紹介し、作家の知性のありようを示されている。

オオドゥウは中部フランスの寒村に生れた孤児みなしごであった。育児院で育てられて、十三歳からノロオニュの農家の雇娘で羊飼いをした。巴里へ出てからは十九歳の裁縫女として十二時間労働をし、そのひどい生活からやがて眼を悪くして後、彼女は自家で生計くらしのための仕立ものをしながらその屋根裏の小部屋の抽斗の中にかくして、「ただ自分一人のために」小説をかきだした。それが「孤児マリイ」であった。つづけて「マリイの仕事場」を書き、「光ほのか」は一九三七年彼女の死ぬ年脱稿された。どの作品でも、オオドゥウは寄るべない一人の貧困な少女がこの世の荒波を凌いで、俗っぽい女の立身とはちがう人間らしさの満ちた生活を求めて、健気けなげにたたかってゆく姿を描いているのであるが、最近出版された「マリイの仕事場」は、オオドゥウの人生に対するまともさ、暖かさ、健全な怒りと厭悪、働いて生きてゆく女、人間として現実を見ている眼の明晰さが、最も美しくあらわれている作品だと思う。オオドゥウの、そのままで一つの物語をなしているような生涯がそれだけで彼女にあのような作品を書かせているのではなく、物語のようでさえある生活の様々の推移の場面で、彼女がそこに何を感じ、何を身につけて生きて来たかという、その生きかたの窮局が、彼女に彼女にしかない生活のみのりをもたらしているのである。

この女性作家の存在は驚きだった。早速、図書館の検索をかけたが、単独では出てこなかった。堀口大学全集のどこかにあるのかもしれないが、、読みたくてたまらなくなり、Amazonの中古本で「孤児マリ-」を購入することにした。

ウィキペディアによると、彼女の最期は不遇のうちに亡くなったが、その素朴な作品は写実的で、「何故あんなに美しい物語を書けるのか?」と言う質問に対し「あたし、なんにも知りませんの。あたし、なんにも学んだことがないんですの。ただ、あたしは、夢想することが好きでした!」と答えるだけだった、とあった。ますます、読みたくなった。

子宮頸がん予後はさらに

1.小学5年の長女が日曜から高熱を出し、インフルエンザB型とわかった。わたしが看病していて、今日で3日目、依然として38度だいの発熱で、闘いは続いている。学校に行きたいとつぶやいていた、「人生で、小学校のいまが一番楽しいときだと思う」と。

2.長女にスマホを与えることにした。有害情報を遮断できるファクタリング機能があるもので格安のものだ。そのスマホはアンドロイドだが、手にしてみると、けっこう気にいった。

そこで、これまでソフトバンクで、iPhone5cを利用していたが、もうiPhoneもソフトバンクもやめると決めた。
ズバリ、この国の大手三社は、スマホの高コストが甚だしいと、よーくわかったからだ。

もういい、、今までのような、アップル製品に固執する意識は、この際、うっちゃってしまおう。そう今朝決めて、自分のスマホも、格安のアンドロイドものを購入した。更新月は来年1月なので、ソフトバンクの中途解約のペナルティで1万3千円は支払うが、切り替えた方が、ペイするのだ。

3.子宮頸がんの友人の手術後の検査結果をlineで、やりとりして確認した。軽い手術だったと書いてきていたので、安易に考えていた。やはり、そんな甘くはなかったのだ。がんがさらに膣の奥にもあったようだ、その厳しさを痛感した。こう書かれてあった。

憶えてくれててありがとう!
昨日、手術の結果が出たんだけど、ホンモノの癌がありますって言われたよ。
癌がちょうど3ミリあってまだ膣の奥の方にもある可能性があるんだって。

だから一ヶ月以内に更に深く削る円錐手術か、もしくは三ヶ月後くらいまでに子宮摘出手術をするか先生達が来週までに検討することになった。ただ他に転移してないのかどうかまだ確認してないんじゃないかと思うんだけど、昨日は聞き忘れちゃった。

子宮摘出と言っても卵巣は残すからホルモンバランスが崩れて術後の不調はあまりないだろうという先生の話だったけど、あるべき臓器を摘出して何も起こらない訳がないだろうから、そのあたりの決断に悩む。。。


冷静で、決断力のある女性だが、さすがに奥にもとなると、医者の見立てには、動揺したことだろう。

さてこの事態に、友人として、どう対話しようか、とあれこれ思い、考えている。
ふと、この女性が小学校時代に、男の児童から「おまえは大人になったら水商売していると思う」と言われ、、絶対になるものかと決めた、、という話をしてくれた、そのことを思い出した。そういう「生命の傾向性」をその男の子は感じて言ったのだろうか、、なんとなくわかるのだ。最初の頃の印象は、水商売をするというより、遠い昔の花柳界にいそうな風情を感じていたからだ。あたらずとも遠からずだなと、その話を聞いていて、記憶に残っているのだろう。あっ、そういえば夜の銀座を歩いていて、人間違いされたとも言っていたな、、

さて、どうしよう。女性のがんは想像が難しい。ただ究極的に、その病全体を「業による病い」と見定めないと、反転攻勢の軌道にのらない気がするのだ。月並みだが因果はめぐると、こころの中のナラティブとして読み取らないと先の展開がみえてこない。7年の前のわが直腸がんは、わが業病そのもだったなと感じ切ったから、そう思う次第。

さて伝わるか、、そして彼岸に委ねるのではなく此岸で業と向き合わないと、スパイラルはおさまらないだろう。
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2006年11月2日から
「持続する志」はいつまでも
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