わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る

仕事の風景と安部公房

1.おとといあたりから、2歳になる次女は家の階段をおりる際、壁に手をあてながら下りることができるようになった。それまでは、お尻をつきながら下りていた。進歩だ。

2.昨日は炎天下のなか、リサイクル法にもとづく届け出のために、大田区役所に行き、その届け出を証明するシールをA3ラミネート看板の片隅にはり、、上池台の解体予定の家に向かった。上池台の土地勘はなく、スマホ見ながらだが、やや遠回りして到着した。早速、表札の下の壁にはって、写メをとって、13時50分に終了。ところが、社長から連絡が入り、その足で、杉並区久我山の解体現場へ。近隣から騒音のクレームがあり、挨拶に回った。暑かったが淡々と、ピンポンし、できるだけインターフォンごしでお詫びの言葉を、、玄関まで呼び立てるのはご迷惑になると判断していた。わたしがピンポンされたら、玄関までいくのは面倒だったな、と思いだし、そうしたのだ。解体工事はクレーム対応は大事になるな、とわかった。

3.JR山手線に乗っていて、異常に太ったサラリーマンを数人見かけた。ラーメンとか炭水化物の取りすぎなんだろうな、と思いつつ、20年前の自分も、みだれた食生活だったなと感慨にひたった。

久が原の駅を降りた女性が、カカエという名の、顔見知りのように思えた。ややスリムになっていた。25年前のことなので、そらにかもししれなかった。その頃、カカエは鷺沼に住んでいたが、

東急池上線はひさびさに乗ったし、長原駅は初めておりた。あまり縁のない私鉄沿線は、さまざまなことを思い浮かばせる。

4.このパート労働の出口を考えた。わが本業との関係で知っておく価値はある。ただ、ズルズル携わっていても、いかがなものかと。

すると、、やはり安部公房の「砂の女」が思い浮かぶのだ。その、溜水装置のようなものが、解体事務労働のなかでは、「解体と産廃(収集運搬)の管理台帳」を作り上げることにある、と思えた。財務会計のカテゴリーとは微妙に異なるデータベースを作る重要性に気づいた。本業と抱き合わせれば、ウリになる。

解体工事の経営者が「分かりやすいデータ」ができる仕組みを作ること、、しかもそれは、エクセルのマクロで十分できるのではないかと思えてきた。古川順平著「仕事に役立つExcelデータベース第4版」を偶然、図書館で手にしたからだ。こういう出会いは意味があるかもしれない。。

都議選とか政治の話

1.米国にとって建国記念日である7月4日に、北朝鮮がICBMミサイル打ち上げに成功したようだ。

2.昨日は、東池袋の劇場で行われた芝居を見た。友人が出ていたから、いやいや、疲れた。戦中に、兵役拒否をしたキリスト教徒の青年を中心に話が進むが、全く私の腹に落ちなかった。

3.都議選の結果に対する一私見をつづる。こんなこと言うのは私だけだろうが、、

いやが上でも、23人全員当選した公明党は都議会与党の中核になった、と見る。理由は、
①まず都民ファーストの当選者は「小池都知事ファースト」を優先するだけで、東京都の公務員の人々と、実務で、どれだけ渡り合えるか、全くわからないからだ。50人のうなずきマンが生まれただけかもしれない。
②小池氏は、思いつきの人、それが真骨頂、、だけの人だ。これからも、神輿の乗って思いつきを語る可能性が高い。
いったい大風呂敷をいわくのは誰だろうか?たぶん、小池氏は公明党に依存してくるだろう。
③その公明党のキーマンは、ズバリ、東村都議会幹事長だ。公認会計士・税理士が生業で、公明党嫌いの石原慎太郎が東京都の公会計に手腕をふるった東村氏を高く評価していた。開票と同時に、党内で一番早く当確で議員だ。これからの4年間、東村氏は大車輪で働くだろうし、その哲人政治ぶりに都民は期待していいし、彼の言動を、注意深く、チェックして欲しい。
1971年に開学した、わが母校の人的成果の一つ象徴になるだろう。

たしかにわが母校から公明党の政治家になった人々は相当いるが、東村氏はダントツに、優れている。会ったことはないが、わかるのだ。

余談だが、東村氏があらわれる前の、公明党のキーマンは藤井富雄という人だった。かつて、清濁併せ持つ政治家と週刊誌に書かれていたと思う。藤井氏は、自民党の、あの千代田区から出ていたドンと渡り合っていた都議会公明党の幹事長だ。

一度だけ、東中野から大久保に向かう総武線の車内で、藤井氏に遭遇したことがある。面識はないが、互いに数秒見つめ合った。わたしは目礼して、大久保でおりた。思いのほか、澄んだ眼をしていた。あぁ、人物だなと感じた。

いじれにせよ、国政も都政も、公明党の責任は重くなった。公明党に多少、縁のある人間として、注意深く見守っていきたい。

朝令暮改との対応施策

1.今日は日曜だが、9:55に家を出て、石神井に行き、10:40から解体工事の近隣挨拶回りを16件行った。みなさん好意的だったが、「ホコリが出ないように」言ってこられたご婦人がいた。「養生シートでホコリを飛ばないようにしておりますので、、」と応えた。正味1時間かかったが、それほど、苦ではなかった。

13:30家に戻り、Y社長に報告した。ねぎらいの言葉はなかったが、そういう人柄と理解しているので、腹立ちはしないが、、それよりも金曜日に確認した予定が、ひっくり返ったのには、いささか、驚いた。忘れてしまうのかも、、

もしかしたらだが、社長は軽度のアスペルガーかもしれない。コミュニケーション能力に難がある感じがするのだ。職人とのやりとりは、どうなのだろう、、働き者には違いないが、、

ふと思い浮かんだ。わたしの友人で、マミさんという人がいるが、彼女のご主人と重なるものを感じた。ご主人はかなりのアスペルガーなのだ。

ここからは追記になる。
2.昨日の3日に、出社したが、Y社長が朝令暮改でも、アスペルガーでも、なさそうで、、意味のある指示とわかった。

3.わたしに、職人の給与のベースを出面表(デヅラ表)を作るように、指示してきたのだ。それはEさんが担当していたが、間違えが目立っていたようだ。

4.Eさんの、手書きのワークシートを見て、、その正の字の画数で、カウントしていると分かり、オイオイ、なんじゃこりゃ、とがく然とした。

頭が痛くなった。これじゃ、間違える。せめてExcel で、もっとも単純なsum関数を使うべきなのだ。

すると彼女は、Excelでも作ったが、表が長くなり分からなくなったといい、自作の表を見せてくれたが、、それは単なるWord表に過ぎなかった。これでは、意味がない。

5.時間がない。そこで、職人を横軸に、日付を縦軸にして、excel で表にしてみた。縦横は逆の方が良かったが、もう時間がない。少しジレンマ。

ただし、Eさんを責める気持ちは全くない。逆に、彼女はよく頑張ってきたのだ。わたしが先に入っていたとしたら、早晩、匙をなげただろう、また前職時代の先輩、樋口アキラさんを彷彿とさせるな、私が咎めてはいけない、そんな風に思いつつ、作業していた。
あれこれ、考えながら、1日から8日まで、作り定刻より45分遅れて、退社した。

6.今月は、10か所の現場に、職人23人が入っていて、繁忙期であることが、分かった。よく働く解体会社だ。

7.社長が、現場ごとの人数も知りたいという。単純なわたしの表では出せない。E さんがやることに。

8.あぁ、これはexcel でなく、Access でやるべきだな、と痛感した。物件管理台帳も含めて、それにしよう。前職のサラリーマン時代のとき、何度か導入を考えたが、やったカイは結局はなくなる、、そのことが見えていたので、excel で逃げた。ない知恵をしぼるのはやめたのだ。

9.だが今回は違うと感じ出した。報酬はひくいが、やる意味を感じている。

Access でデータベースをやる価値があるぞ、と見切ったのだ。そこで、家に戻ってからAccess のお値段をみたら5万円近い、ダウンロード版でも16千円かかる。

それは今のご時世にあり得ない、高額ソフトだ。
しかもCD のハコものは2010の版で、、7年前のもの、、あり得ない。

つまりそれは、事態は変わったことを意味する。
フリーソフトを使う人、企業、自治体が増えているからだと直観した。フリーソフトはわたしの性に合っている。そうすれば物件管理台帳もつなげることができるだろうし、意味あるデータベースにるだろう。

つまり、さらば、マイクロソフト、


見える化としての工事物件管理台帳

1.昨日はパート労働4日目だったが、朝から3本の仕事を課されたが、うち練馬区の案件は、顧客の意向とわがY社長の怒りの、板挟みになり、30分以上時間を費やした。結局、わたしが日曜に対応することで、決着した。理屈は顧客の主張が最もだったが、受注金額相当に叩かれて、Y社長は顧客ファーストに対する意識が下がってしまい、怒り出していたのだ。Y社長は38歳、毎朝6:30に板橋区のダンプ駐車場に職人さんを集合させ、現場に向かう。地頭が良いし、懸命に働く青年で、わたしはリスペクトしている。それに、これからは、若い人たちとかかわっていくことが、健康長寿につながると見ている。

入って早々だが。年の功で、私が対応するしかない。仕事だし。

2.夕方、豊島区役所から事務所に戻ると、トルコ人の青年2人が、ハローワーク経由で、現場で働きたいということで、事務所のEさんが、ゆっくりとした日本語で、面接をしていた。内心は怖かったと後になって話してくれたが、堂々としていた。

人相は悪くはなかったが、2人は「難民ビザ」だと在留許可の種別を話していたが、シリア人ならともかく、それはないな、と感じつつ、後ろ向きになって聞いていた。ハローワークでビザのフィルターはかけないのかな、、いずれ、こうした外国人の面接は、社長が不在なら、わたしがした方がいいだろう。女性にさせてはリスキーだ。一応、イミグレーションも守備範囲だからだ。

もしかしたら、2人はクルド人なのかもしれない。川口に住んでいると言っていた。蕨と川口にクルド人は数百人くらしているらしい。川口のハローワークは、そういう実情を踏まえて対応しているのかもしれない。

「知恵袋」にこうあった。
日本で「トルコ人難民」を称する人々は、多くがクルド系のトルコ国籍人です。多くは1990年代に祖国での迫害を逃れてきた人とその子孫です。しかし、日本政府は、トルコ政府と友好関係にあり、トルコにおけるクルド人迫害を公式には認めず、トルコ国籍のクルド人に難民認定がなされることは、ほとんどありません。つまり「日本政府に難民認定されたクルド系トルコ人」という方は、ほとんどおりません。これは、あまり大きく報道はされませんが、国際問題になっています。


3.モヤモヤしたストレスの原因が、なんだかようやく、分かってきた。工事物件の全容の進捗が見えないから、こうした心理状態に苛まれるのだ。それを解消するためには、「工事物件管理台帳」をエクセルでつくることに、家にもどり、寝る間際に、決めた。

4.請負契約は、受注金額と原価管理が大事であることは知っていたし、サラリーマンの最後の部署であった保険代理店の部署では、新規の長期火災保険専用の管理台帳に立ち上げ、部内の人たちにどんどん書き込みさせ、担当者別の契約状況が分かるように、紙出しにして、張り付けるようにした。

さらに、かのリハウスのように「◯井の火災保険」のキャッチコピーを作って、、いろいろな言葉を編集し、住宅ローン35年にあわせた長期火災保険を売りまくったのだ。

5.私は管理職でなく、一担当者に過ぎなかった。しかも部長にそう指示されたわけでもなかった。
しかしマンネリ化したその部署に、徐々に風を起こして、ノルマ達成を鮮明にする営業会社はイヤだが、みんなに愉快なゲームをやっているような気分にさせてみたかったし、そうした職場の空気にひたってみたかったのだ。

その情況は、映画「ショーシャンクの空」で刑務所の人たちに、オペラ歌手が歌うアリアを放送で流してしまう、主人公に近い。

保険の部署全体にギアが入るまで、半年かかったが、やがてみなシャカリキになっていき、よく年には、関西支店より売上総利益は上回ってしまった。

おそらく、数人いた営業担当は「見える化」して競争することを楽しめたのではないかな、、それで各人のボーナス査定がよかったかどうかは、もう覚えていないし、、今や、どうでもいい。

6,その会社は50歳のときに、リストラで退社し、友人が立ち上げたインテリア会社のお手伝いをしたが、7年で倒産してしまった。もし、そこで物件管理台帳を工夫して、社員が使ってくれていたら、倒産は回避できていたかもしれない。その会社の社長が導入した管理台帳はあったが、なんか根底の意味が、私のとは違っていた。

7.繰り返す。このY会社で「見える化・工事物件管理台帳」を始めようと、決めた。Y社長を説得しよう。こういう気持ちになるのは久々のことだ?2年前の、硬直したら会計事務所では、この気持ちは生まれて来たりはしなかっただろう。

管理ナンバーの意味づけは、昨夜のうちに工夫しておいた。さてさて、おもしろく、やろう。


高杉晋作の辞世の句

おもしろきこともなき世をおもしろく

すみなすものは心なりけり

パート労働の風景

1.先週決まった営業事務の仕事は、23日の金曜日から始め、26日、28日と3日間、労働をしたことになる。

2.事務所は1階の25㎡程の、狭い事務所だが、空気感は悪くない。2015年9月に3週間勤めた会計事務所の空気感とは、だいぶ異なる。難点はトイレが和式であることと冷蔵庫がないことだ。

3.そこに、半年前に入った30だいの女性Eさんが、明るく、テキパキと仕事をしていた。Eさんのご主人は「マチ鳶(トビ)」と話してくれた。が、鳶職はわかるが、マチは町か街か、マチ以外の鳶は、きっと高層タワーなんかの鳶職は、なんて呼ばれているのだろう、と思った。

3.最初の仕事は、4月に取得した建設業許可の、取引先向けの案内文を作ることだった。Eさんは苦手なようで、手間取っていたのだ。ネット情報で、あれこれ収集し編集して作文した。そこに社長のチェックを入れてもらい、完成した。造作ないことだったが、Eさんは、だいぶ四苦八苦されていたようで、お役に立てて、よかった。

4.それにしても、2016年に、建設業許可の種類に解体工事業が追加されたことを、知らなかった。いやいや、その士業の一員として、恥ずかしい。リサイクル法やアスベスト除去で、区役所に届出が必要なことも、これまた、新鮮だった。

5.昨日は、Eさんが、建設業職人向けの求人フリーペーパーを持って来てくれ、初めて手にして、新鮮だった。わたしは建設業の仕事を、紙のうえでしか、理解していないのだな、、と分かった。

今、ガテン系に対する敬意を感じている。リアルであることは大事だ。自分の中の、仕事の意識が変容して来ている。。

6.昨日の昼すぎ、練馬区役所に届出に行った。リサイクル法に基づく届出とアスベスト処理の届出で、それぞれ別の階に受け付けがあり、担当者と話していて、感じることが多々あった。アスベスト処理の方は、「遅延理由書」を添付して、その日のうちに提出しなければならず、、焦ったが、17:13に持ち込みができた。

7.区役所のロビーのところで、大学の同期のツルタ氏に遭遇した。都議選の期日前投票に来たようだ。連絡先を確認しあった。秋に、大学卒業して、40年になるので、大学で集まりがあるらしい。創立者はもうじき90歳になられるわけだし、いい機会の集まりになる。それと、同期の旗頭のM氏のことを尋ねたが、やはり、わからないと言われた。

肝臓病教室に行った、、

1.24日14時、考藤先生が講義すると知り、1年ぶりに国府台病院の肝臓病教室に行った。受講者は30名程度と少なく、あらためてその空気は、2015年9月の白熱教室とは程遠く、C型肝炎の終焉が近づいた感じがした。

慶事であり、とてもいいことなのだが、目的の達成は、その喪失でもあり、さびしい感じが、した。

2.考藤先生の前の、古田先生は食事について、レジュメにある「まとめ」は

「肝炎ウィルス治療後の肝がん予防には、食事管理が大切」として、
①C型肝炎のSVRになった者は一旦、鉄制限はやめていい。

②ウィルス排除前に肝組織が受けた傷害は、ウィルス排除で帳消しにはならず、加えて、加齢や飲酒、食行動などの要因によって発がんリスクが高まります。

③食行動の「ずれ」と「くせ」について、、
「自分の食べた量はそれほどでもない」と感じる摂食量に対するずれ
「自分は滅多にお菓子は食べてはいない」と感じる認識のずれ
「目の前の食べ物につい手がでる」というクセ
「いらいらすると食べる」というクセ
「何もしていないとつい食べてしまう」というクセ

④主食、主菜、副菜をそろえたバランスの良い食事をする。

⑤食べすぎないで、糖や脂肪の摂取は、量や種類を選ぶこと。

以上だった。

3.終了後、古田先生に質問した。
「ショートニングやマーガリンなどが、例えば最大手のパンメーカーのものには、ほとんど入っているが、どう思われるか?」と。

「米国ではショートニングは全面的に禁止になったが、厚労省は5年ごとの審議会で禁止に至ってはいない。パンや菓子の取りすぎに注意した方がよい」と古田先生は応えられた。

4.つづいて考藤先生の講義では、「薬剤耐性HCVの存在と出現」と「次世代治療によるSalvage治療の対象は」が一番気になった。とりわけINFフリー(DCV+ASV)での治療不成功例では、多重耐性変異が60〜70パーセント存在する。当面は治療待機になる、と。

5.迂闊だった、、ここしばらくお会いしていなかったHさんが見えていて、ご挨拶し、笑顔で握手をしたのだが、、Hさんはsalvage治験で一旦はウィルスは消えたが、また再燃されていた、、私はその波乱の経過を知らないでいたのだ。さぞかし、憤りを感じたことだろう。

あらためて、つくづく思った「これは明らかに医源病である」と。中でもT門病院のK先生らが誘導した治療薬が悪すぎた。彼らは訴えられるべきなのだ。

6.終了後、考藤先生にこう質問をした。
「C型肝炎のSVRになった者は、他の健常者と比べ、新たにC型肝炎ウィルスに感染しやすいのではないか?
というのは、昨年の肝臓病教室で考藤先生は、C型肝炎のSVRになった人が肝がんを発病し、そのとき同時にC型肝炎ウィルスが見つかったという症例を話されていたからです。いかがでしょうか?」

これに対して考藤先生は「ふたたび感染するリスクは、違法な薬物注射や受刑者とか、特異な社会状況でなければ、通常はありえない。昨年の話した症例、よく覚えていましたね、その原因は不明であり、ウィルス量も少なかった。今後の研究としたい。」といわれた。主治医の青木先生の話と重なった。自分に向けて「安心宣言」しよう。

講義が終わり、教室を離れながら、最新の肝炎治療の細かいことが、よくわからなくなってる自分がいた。

Hさんに申し訳ないなぁと感じつつ、
最新の治療法に関心を持てなくなっているとは、、なんともゲンキンなものだ。

今回が、最後の肝臓病教室の参加になるかもしれない。

安倍首相は肺がんか?

最近の安倍晋三首相の顔がむくんでいる感じがして、少し気になっていたが、ネット上で「肺がん」だという情報が流れている。以下に、言い出しっぺのフリージャーナリストの記事を、、

本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
安倍晋三首相は、慶応大病院で精密検査、「肺ガンの末期(ステージ4)、リンパ節、脳幹に転移、余命3か月」と告知される

◆〔特別情報1〕
 「肺ガンの末期(ステージ4)、リンパ節までに転移しており、脳幹までの転移するのは時間の問題、余命3か月」-安倍晋三首相は6月17日午前、母・洋子夫人(安倍晋太郎元外相の妻、岸信介元首相の長女)に付き添われて慶応大病院で精密検査(MRI検査など)を受けた。

この結果を、こう告知された。安倍晋三首相本人も、主治医も、「肺ガンが末期」になるまで気づかなかったのは、「潰瘍性大腸炎」に気を取られて、胸にまで気が回らなかったからだったという。

東京・六本木のホテル「グランドハイアット東京」内の「NAGOMⅠスパアンドフィットネス」の個室で主治医の診察を度々受けていても、ここでは、精密検査(MRI検査など)を受けることができなかった。

そのせいか、6月19日午後6時から、通常国会の閉幕を受けて首相官邸で記者会見したときの安倍晋三首相の表情は、精彩を欠き、覇気がなかった。

元気がなかったのは、主治医から「多臓器不全」(潰瘍性大腸炎)により、ドクターストップ(6月10日)をけられていたためではないかと受け止められていたけれど、「手遅れで、余命3か月」と告知されたのが、原因だった。

このことを耳にした麻生太郎副総理兼財務相が、「ポスト安倍」狙いで、自民党内に言いふらしており、衆参両院議員は、安倍晋三首相亡き後の身の振り方に悩み、右往左往しているという。


以上、「多臓器不全」は死因の病名であり、ジャーナリストにしては、言葉の使い方がおかしい。眉ツバの疑いはある。

今、ウィキペディアで「板垣英憲」を検索してみた。医療系に情報源がありそうだったが、言葉の表現は大仰であり、怪しい印象は拭えなかった。あまり信じない方がいい。ただ騒がれているのは事実なので、このままに、しておく。

安倍首相の持病、潰瘍性大腸炎は、薬物治療していても、治っているわけではなく、その薬によって腸内細菌のバランスが良くなり、免疫力がある身体になっていた、、とは到底、言えなかっただろう。

それにしても、62歳の男の病理検査結果を訊くために、母親が同行するとは、庶民感覚では、、あり得ない。

1928年生まれの89歳の母親が、診察に同行したことがホントだとしたら、ステージはともかく、、その「肺がん」はあり得て、、深刻な病状かもしれない。

ステージの確定は、採血やMRIではできないのでは、、
脳に転移が、画像で確認出来ているなら、ステージ4は決まりだが、、リンパに飛んでいるだけなら、ステージ4は確定できないはずだ、、、2010年直腸がんサバイバーとして、そう思う。

いずれにしても、肺がんだとしたら、安倍さんはきっと隠蔽して、ギリギリまで首相を続け、突然引退を発表すると予想する。第1次安倍内閣の終わり方そうだったし、すい臓がんでなくなった父親の安倍晋太郎氏も、ギリギリまで外務大臣をつとめたからだ。

外国のスパイは情報収集に動いているはず、、とりわけ中国政府は、、

そうして遅くとも、年内までに、病気の真偽は明らかになるだろうし、麻生太郎氏は、にわかに元気になるに違いない。

週刊新潮が安倍首相の病気を取り上げ出した。
はたしてニュースソースは大丈夫か、板垣某がソースだとしたら、その信憑性は疑わしい。

追記、、勝手な想像だが、
もし安倍首相が、ガンだとしても、肺がんではなく、父親からの遺伝で、すい臓がんではないか?
エコー検査ならば、「グランドハイアット東京」に機材を持ち込むことは、簡単にできるだろうし、、
咳き込むイメージはないし、肺がんはフェイクではないか?

検索すると、2014年9月「週刊実話」の記事が出てきた。板垣某よりは真面目な内容だった。長いがそのまま、、

難病に指定されている潰瘍性大腸炎に長年苦しんできた安倍首相は、特効薬とされる『アサコール』を服用して、何とか公務をこなしているのが現状だ。ただ「最近はトイレに行く回数が急に増えてきた印象がある」(全国紙政治部記者)といい、悪化している兆しがある。アサコールと併用しているステロイド剤の影響も大きいという。

「安倍首相は腹痛がひどい場合、ステロイド剤を9錠も飲むことがあるようです。その副作用で、最近は顔が満月のようにむくむ“ムーンフェース症状”が出たり、もともと良くない滑舌が悪化している場面によく出くわします。さらに、ステロイド剤の多用は歯の組織もボロボロにするらしく、歯医者通いが増えてきました」(首相側近)

確かに新聞に載っている安倍首相の動静記事を見ているだけでも、7月から歯科に通う回数が増えた。6月まで月1回ペースだが、7月は3回、8月に至っては4、6、11、12日の計4回。とりわけ12日は静養のため訪れていた地元の山口県で、各地であいさつ回りにいそしむ途中で、支援者の歯科医に診療を頼んだほどだ。「急な通院と称して、会議や宴席をドタキャンするケースも出てきた」(政府高官)という。

一時は「寛解宣言」までして完全復活をアピールした安倍首相だが、今も大腸、さらに口腔の状態に悩まされている姿が浮かぶ。

しかし、こうした問題はすべて潰瘍性大腸炎に起因するもので、ある意味では想定内といえる。本当は、もっと深刻な病が安倍首相を襲っていたのだ。

広島市が激しい土砂災害に見舞われた8月20日、夏休み中だった安倍首相は、別荘のある山梨県でゴルフに興じていたが、いったん帰京した。そして当日の午後7時半過ぎには、別荘にとんぼ返りしている。

「首相周辺は『書類を取り帰った』と釈明しているが、絶対に会わなければならない人物がいたのです。それは、慶応大学病院の主治医でした。いつものように大腸を診てもらうなら、わざわざ批判を浴びてまで別荘に引き返す必要はなかった。実は、すい臓に腫れが見つかったようなのです」(安倍首相に近い政治ジャーナリスト)

すい臓--。そういえば、安倍首相の父・晋太郎氏は首相の座を目前にして、すい臓がんで亡くなっている。晋太郎氏は当初、周囲から本当の病名を隠されていたが、「がんです」と告知したのは、当時秘書を務めていた次男の安倍首相だった。
「腫れが自己免疫性すい炎によるものであれば、ステロイド剤が非常に効果があるとされています。ただ、安倍首相は潰瘍性大腸炎でずっと服用しており、その中ですい臓が腫れたというのは、どうにも解せない。何より、すい臓がんは強い遺伝性があることで知られています。もしかすると安倍首相は、すい臓に公表できないような病気を抱えているのではないでしょうか」(同)

ちなみに、安倍首相が通う歯科医は、ほとんど永田町にある衆議院第1議員会館内の「歯科診療室」である。「国会議員お抱えだけに、歯科をカムフラージュにして別の医師の診察を受けていても、周囲は気付かない」(全国紙政治部デスク)のも事実だ。

首相の“本当の病状”は、国家のトップ・シークレット。側近として仕える官邸スタッフなら、兆候どころか、ある程度の説明は受けていても不思議ではない。そんな中で敢行された官邸の“封じ込め人事”は、何を意味するのだろうか。
永田町に、怪しい暗雲が漂い始めた。


菅官房長官にゆる首相の病気の隠蔽工作は、ネグレクトという形で徹底している。TVのニュースコメンテーターはともかく、虎の門ニュースやラジオのニュースにでる人びとまで、一応に、首相の病気話を避けている。ソースがはっきりしないから、というより、菅さんら官邸の圧力ではないかな、、

パート労働のこと

1.おととい火曜日17時に、池袋ハローワークに行った。火曜日は19時まで開かれている。東池袋駅からサンシャイン3階に向かいながら、今日は、空振りはないだろうという予感があった。そういう空気感があった。方針は正社員ではなく、パート労働ワクでチェックするのがネライだった。

2.先々週は、はずみで飯田橋ハローワークに行き、正社員ワクでチェックしてみて、、一社を紹介してもらったが、、書類選考で落ちた。

その通知を受け取ったとき、あぁ、わたしを「使いづらい奴」とみたな、、言霊のような、そういう言葉が頭の中を去来した。と同時に思った、「その判断は正しい」と。

仮に、面接に至っても、さんざん悩まされきた「組織論」が頭をもたげ、ミスマッチと感じるだけだったろう。組織の大きさなんて、全く関係ない。森敦の話を思い出した。

ちなみに、池袋ハローワークの担当者に聞いてみた。そこは6名応募があったが、40代の男女のどちらではないか、と話してくれた。

3.さて池袋ハローワークの続き、、
52番の専用モニターの前で、約40分チェックした。自宅から近い地域で、受付から3日以内の最新の求人票しか見なかった。報酬単価より、年齢不問、定年制なし、資格を必要としないもの、そして何より、自分の本業と関連性のある求職票だけ、意識し、絞りこんだ。本業からみて繋がりのないものは、報酬単価が良くても、意味がない、、と決めていた。

なので、飲食系やマンション管理系や介護系は、無視した。ただ、東京都の最低賃金932円を上回る単価1000円のものが、実に多い。マルクス主義は不毛の議論だが、彼の人間疎外論は生きているな、、

4.そうして建設業のX社だけ、浮かび上がった。仕事内容は次の5つだ。
①官公署への提出
②工事近隣挨拶
③電子マニュフェスト、紙マニュフェストの管理
④委託契約書作成業務
⑤顧客管理

うーん、この求人票は産業廃棄物系の話だ、、
けれど、普通の目線では意味不明じゃないか?

ということは、、これって、おれだけに向けた案内だな(笑)、と妙にうなづいてしまった。何というタイミングの良さか、あの予感は正しかったのだ。

5.さっそく、紹介状を出してもらうために、相談窓口にいき、X社の求人票をサイトウという担当者に渡すと、求人票をいろいろ分析してくれた。その単価は通常より割高で、求人票が女性を想定しているよりは男向けではないかとか、さまざまに、読み込んでくれた。去年12月に、ハローワークの紹介で女性が入っているから、やはり男の営業を求めている、と。卓見だった、ズバリ的中していたのだ。

18:30を過ぎていた。通常、ハローワーク担当者が先方に問い合わせをして、62歳でもいいか確認してくれるのだが、X社はもう営業を終了していた。そこで、明日の朝、わたしが直接、問い合わせてくれというご返事。わたしは了解した。

そして、昨日の朝9:05に電話した。社長の声は小さく、ききとりにくかったが、もしかして自閉症ぎみの2代目か、という印象だった。しかし「今日、18時に来てくれ」と、毅然と言われた。

わたしが62歳であることは言わなかった。見た目で行こうじゃないか、会ったときに告知すればいい、そこで午後から履歴書の作成にかかった。履歴書の用紙はハローワークからもらえ、コンビニに買いに行かずに済むことは、飯田橋マターのときに知ったので、池袋ハローワークでも貰うことに。日本のハローワークって、至れり尽くせりだな、と正直、思った次第。

6.履歴書は、賭けに出た。普通は禁じ手だが、本業を書き込むことにした。ただし、今は休業と書き、にげ道をつくったが、全くウソとも言えない。

18:05 面接をした。その小さな事務所に入って、社長を見たとき、電話の印象より、明らかに、良かった。40歳くらい、叩き上げの好青年だった。要望は一つ、「営業をして欲しいと、、」
面白いなこの面談は、、ひとまず、うなづいて、了解した。

話はまとまり、ひとまず、採用となり、23日金曜日、10:00に出社した。なかなか新鮮な一日であった。

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