わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
TOP尊敬する人物について ≫ お惣菜をくださった女性

お惣菜をくださった女性

依然として、咳が出る。免疫力の低下か

6割くらいの確率で
7月2日の診察で、6月24日のウィルス量は
1.2を下回り、「検出できず」の領域に
入る、と思う。

1991年8月21日にC型肝炎患者と判明して
以来23年という、長い歳月が流れた。

いま当時の三年日記帳を眺めている。

その年の11月2日より御茶ノ水の順天堂病院で
治験段階のインターフェロンαの皮下注射を
始めた。担当医は渡辺純夫先生だった。

その頃、全身倦怠感で、寝て起きてもダルさが
残った。

二週間の入院、肝生検をやりCTもやり
インターフェロン投与となった。
退院してからも3日に1回のペースで投与する
ために順天堂病院に通った。

渡辺先生のもとに来る患者さんたちは、
B型かC型の肝炎患者で、フロアは混雑
していた。その中で20代くらいの、
ひときわ美しいC型の女性患者がいた。
何度かお見かけするうちに、
少し話をするようになった。

新婚で、ご主人は元サッカー選手で、
筑波大で教えるとともに、
日本サッカー協会の仕事もしている人だという。
わたしは全く知らなかったが、
会社の同僚はよく知っていた選手だった。

ある日診察を待っていると、女性が現れた。
わたしのために煮物の惣菜を作ってきてくれた。

え、ぼくに、
よほどわたしの表情は生気が
なかったのだろう。ありがたかった。

その後、病院で何度か話したが、
お礼ができないままになり、

ウィルスも一向に消えないし、
長期戦を覚悟し、
当面はウルソと強ミノでしのごうと、

順天堂病院に行くこともなくなり、
当然、その女性に会う機会は
なくなってしまった。

最近、ふと気づき、
ダンナさんの名前を検索してみた。
すると、離婚とあった、見てみると
その女性とは別の人だった??

そうか、今や、サッカー協会の重鎮
となったダンナさんは、
その後元ダンナになっていて、
再婚もうまくいかなかったのか、
バツ2なっていたのだ、、と。

大丈夫かな、サッカー協会は
その元ダンナさんを
トップにすえるのだろうか、、

23年前を思いだす、、もしかしたら
もう、あのときには、その夫婦は相性とか、
家庭での振舞いとか、難病とか、微妙に
折り合わなかったのかもしれない。

なんとなく、その女性はわたしより症状が軽かった、
たぶんすでに、C型肝炎ウィルスを卒業している
気がする。



にほんブログ村 病気ブログ C型肝炎へ
にほんブログ村

Comment













非公開コメントにする
Trackback

Trackback URL

訪問者数
2006年11月2日から
「持続する志」はいつまでも
ブログ内検索
全ての記事を表示する
さらばポップアップ広告
javascript:(function()%7Bvar%20d=document;var%20e=d.createElement('SCRIPT');e.setAttribute('language','JavaScript');e.setAttribute('src','http://s6.ql.bz/~mamiya-shou/bm/invalidFloatAd.min.js');e.setAttribute('charset',%20'UTF-8');d.body.appendChild(e);%7D)();