わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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ハンナ・アーレントとエリック・ホッファー

昨日夕方以降、体調が悪くなったのは
それなりに原因があった。

昨日が最終日の映画「ハンナ アーレント」を
見に、飯田橋ギンレイホールに行ったのだ。
ほかに、もう一本みたので、4時間いたわけで、
ちょっと疲れた。

すこし驚いたことを、、
地下鉄の出口からホール入口まで
並んでいる人たちがいたからだ。

しかも中高年の男女が圧倒的で、
女性のほうがやや多い、、

ギンレイホールは、中高年の
ニューシネマパラダイスだったんだ、、

女性客を意識していて池袋の文芸座より
コギレイな印象をもつ。
文芸座はこれほど女性客はこない。

女性スタッフが4人くらいいるので、
目配り、気づきがあるのだろう。

さて、映画ハンナアーレントが、なぜ
人気を呼んでいるのだろう。

こんな女性の哲学者がいたことが
新鮮だったこと。

立ち居振る舞いが、とりわけ
散歩やソファで一人思考する姿に
屹立する姿を感じ、
思考に忠実な女性は美しいと感じさせる、

ハイデガーに始まる
男女の奔放な出会いがあった
と想像できること、なおかつ今の
夫婦仲が良く、よく触れ合う姿に
羨望を感じるだろうこと、

とか、人気の要因として思い浮かぶ。

つまり、最後の8分間スピーチより、
ハンナアーレントが女性としての機微が
人気の要因かな、と。

わたしは去年、熊野純彦さんの
ハイデガー講義をネットで聞いて、
初めて知った。

実際、美しい女性の哲人で、師の
ハイデガーは、彼女とめくるめく行為を
いとなみながら「存在と時間」を書いた、と。

その思考がどれ程、深淵なのかは、
無論、知らないが、好感をもつ。

「全体主義の起源」を借りて
パラパラ読みしたとき、
ハンナ・アーレントは同時代の、
港湾労働者の哲人エリック・ホッファーに
会ったかどうか、気があったかどうか
むしょうに気になっていた。

よかった、二人は出会っていたのだ。
検索すると、、長いがそのまま、

『アーレント=ブリュッヒャー往復書簡』

1955年2月から6月にかけて
ハンナ・アーレントは
カリフォルニア大学バークレー校の政治学部で
客員教授をつとめた。

はじめての西海岸。
はじめての太平洋(「太平洋はものすごいですよ。
黒い砂、そして長ながとつながる危険な波」)。

はるか対岸に思いを馳せ、
彼女はブリュッヒャーに書いている。

「山や丘の連なりはもうすでに日本的で
(ここ一帯がかつてはアジアの一部だったことは、
疑問の余地がないように思えます)、
わたしたちのところとはまるで違う。
こういう風景は日本や中国の絵でしか
お目にかかったことがありません。」

バークレーでは『全体主義の起原』の著者として
高名なアーレントのもとにたくさんの学生が押し寄せ、
「死ぬほどくたびれ」る日が続いた。
また大学人とのお仕着せの交流にも
彼女はうんざりしていた。

そんなある日、とても貴重な出会いがあった。

「このまえの土曜日にエリック・ホッファーと
知り合いました。労働者、それも港湾労働者で、
ひじょうに好感がもてます、才気はないけれど、
誠実で、ひじょうにドイツ的な変人。

わたしにサンフランシスコを見せてやろうと
言ってくれました。もちろん願ってもないこと。
土曜日は時間外労働があるのでだめだそうですが」
(1955年2月21日)

「金曜日にはサンフランシスコへ行って、
哲学する沖仲士、エリック・ホッファー
(ドイツ系の労働者、典型的な労働者=知識人)
にあちこち案内してもらいます。
(土曜日は、彼は港で時間外労働をするのでだめ。)
彼はとても感じがよくて、半ば深淵、半ばそうでない
といったところが少しあり、とても分別のある人。
わたしにとっては砂漠のなかのオアシスです」
(3月1日)

「金曜日はすてきでしたよ――国王たる偉大なあるじが、
尊敬する客人におのが王国を案内するようにして、
ゴールデン・ゲイト・パークと橋と、
彼の働いている港のドックを見せてくれたのです。

今日は彼の箴言を集めた小さな本が届きました。
多くは、ロシュフコーの箴言の借用みたいで
(でも彼はそうとは知りません)、

とてもいいものがたくさんあるものの、
ほんとうに重要なものと言えるほどのものはない。

でもそんなことは問題じゃありません。
彼は話しているときのほうがずっといい、
イメージに溢れています。

本に出てくるような正真正銘の
ドイツ的霊視者ですよ。
(15歳までドイツ語しか話さなかったし、
しかも7歳から15歳まで失明していました。)
でもいまではドイツ語はもちろんできません」
(3月8日)

「今週の土曜日にはまたサンフランシスコへ
逃げだして、エリック・ホッファーにあちこち
案内してもらいます。これはいつも光明です」
(3月30日)

わたしにとっては砂漠のなかのオアシスです―
―異国の地アメリカで、アーレントはドイツ的なものへ
の郷愁と真の思考とは何かという課題をもちつづけていた。

そんな彼女にとって、エリック・ホッファーは
その二つを体現しているように見えたのだ。

二人がどんな会話をしたかはわからない。

でも、バックグラウンドも日常の生活様式も
ちがう二人はそれぞれの立場から、
二人が出会う前であれ後であれ、
労働について、全体主義について論じ、
その骨格にはどこか呼応しているところがある。

「オアシスの呼吸法――ホッファーとアーレント」
など参照。


以 上、

わたしが生まれてまだまもない頃、
二人は対話していたことが、

なぜか、嬉しい、、

人は、出会うべく人に、出会うものだ、と。

それと唐突だが、

21世紀のこんにち、もはや
集団的自衛権は、個人を捨象する戦争は、
全体主義と無縁ではないのだ、と。

安部さんをはじめ
国家主義者は、それが分かっていない。



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