わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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業としての肝臓病

このところ意識は肝炎治療モードだ。

そこで、全くの思いこみで、
まとまりのない話をつらつらと、、

わたしの場合、
なぜ、23年という長い歳月
大量のC型ウィルスは肝臓に
生息してきたのだろう。

ウィルスは
細胞のような代謝はしない。ただ、
コピーを繰り返し、増殖する。

身体の60兆細胞は
毎日1兆が死に、1兆が生まれ、
毎日5000個のがん細胞が生じる
という流れの中で、
ウィルスはコピーを続けている。

そうした事実に
意味なんてないと考えるのが
普通のあり方なのだろうが
それは皮相な見方ではないか、

何か意味があるのではないか?

わたしは過去の世でも
同じこの病気にかかったのではないか
という思いが強くある。

いわば、この病気を業病と見切る、、
いのちの年輪に刻まれた病いでは、と。

そうして今の世で
肝臓病の根をきりかえるときなのだ
とも、見切っている。

6月上旬に開始の三剤併用療法にしても、
業病の視点から見ないと、本質をあやまる。

根底にある病い、業病はある。

わたしの直腸がんはステージ3bだったが、
業病ではなかった、、

今月25日で、
直腸がん手術から満4年になるが、
振り返ると、一過性の大腸のオデキくらい
にしか思えなくなっている。

4年前、業病の光背を感じたことがある。

具体的に言えば、
わたしは人工肛門は免れた。
しかし隣りベッドの、
私より若い人だったが、
人工肛門になっていた。そのとき
これは紙一重の分かれ目なのだ、
実感した。わたしが彼であっとも
おかしくないのだ。

西洋医学が全盛の今日、
人工肛門が妥当な処置だとしても、
その後はずっと排泄の苦労を重ねなければ
ならない。あえて、、
これを業といわずしてなんであろう。

このことは、
わたしたち難治性C型肝炎の面々にも
あてはまる。ウィルスの消失と残存は
紙一重の個体差なのだから。

また、
今度の三剤併用療法が功を奏して
ウィルスが消えたとしても、

あるいは新しい画期的な経口薬に
よってウィルスが消えたとしても、

それでこの病い決着なぞしない、、

つまり、、

わたしは何を言いたいのだろう、、
肝がんリスクを減らすため
できるだけC型ウィルスを逓減させる、

まずは、それでいいじゃないか、、
と覚悟して、来月の治療に臨みたい。



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Comment

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2014年05月16日(Fri) 14:44
おめでとうございます。
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kawahero2000さんへ
> 治療前7.0、         
> 4週目 検出せず でした

素晴らしい、おめでとうございます。
自分のことのようにうれしいです。
わたしも、同じ道をたどりたい、
つよく念じながら、望もうと思います。

ちなみにメールも、先日おくらせて
いただきました。

今後とも、よろしくお願いいたします。
2014年05月15日(Thu) 13:11
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2014年05月14日(Wed) 22:15












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