わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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プロクロスのこと

哲学者プロクロスは、不思議なことに、
ウィキペディアで取り上げられていない。

プラトンのアカデミア学園は紀元前4世紀から
実に、900年続いたが、

ユスティアヌス帝は、
528年、ギリシア人を迫害し始め、
多くのギリシア人の財産を没収し、おまけに
ギリシアの神々を信じる者が公職につけない
法制をひいた。

さらに529年、ユスティアヌスは
「アテナイにおいて何人も哲学を教えてはならず、
伝来の習俗、宗教を講義してはならない」布告を出し、

アカデミアは閉鎖を余儀なくされた。
プロクロスは、そうしたアカデミア終焉まじかの
5世紀に学頭だった人だ。

1976年に中央公論社「世界の名著」で、
新プラトン学派の一人として取り上げられたが、
その後日本の西洋古典学者の間で、
プロクロスはあまり関心がないようだ。

それでは誰か、調べまくって
辻邦生の「背教者ユリアヌス」のように、
プロクロスの小説を書いてくれないものか、
とよく思ったものだ。

その「世界の名著」を手にしたとき、
プロクロスは本物だと直感した。
単なる哲学の学徒にとどまらず、

「哲学者は一都市の神官、あるいは
一部の人々にとって神官ではなく、
全宇宙共通の祭祀であるべきだ」と
プロクロスは考えていた。

アカデミア学頭プロクロスの日常生活は
夜明けに目覚めて、
ベッドの上で神の賛歌を作り、
思索して問題を解決したりした。

夜が明けると、起床して、それらを書き付けた。

日の出時に太陽を礼拝し、早朝から授業が始まる。

そのあと授業で述べたことを著述。

1日700行も書くことがしばしばあった。多作。

正午に太陽を礼拝、午後は同僚哲学者と談論。
夕方ふたたび授業を行う。
授業は一日5回、5教科、ときにはそれ以上、、

日没時に、太陽を礼拝。
夜は魂の浄化のためにいろいろな技を行った。

たとえば毎日1回以上、潅水や海に入り、
心身を清め、晩年にいたるまで怠らなかった。

宇宙の運行に心身を合わせたのではないか、
451年 39歳のプロクロスはある女性から動神術?を伝授された。
それにより 雨を降らせて旱魃をとめたり、
地震を防いだり、祈りによって病人を癒やしたりした。
このころから、夢の中で、自分の魂の将来の運命について
詩形で神託?を語った。
453年 プロクロスは自分の魂が
ヘルメス神の系統に属することを
ありありと感じ、また自分の魂は、
かつてピタゴラス派の哲学者ニコマコス(2世紀)の
魂であったことを、夢の中で感得する。

輪廻転生は当然とみていた。

動物性の食品は少し食べるだけで、
通常は避けていた。

死者に対する尊崇は徹底していた。

学問上は厳しくて、自説に確信を持ち、
弟子たちを叱責したので、気が荒いとか、
自尊心が強すぎるという印象を与えたらしい。


(わが日蓮の第一印象も、
 これに近いものだったかもしれない)

等々の説明が「世界の名著」でプロクロスの生涯が
紹介されている。

何故か、いつもプロクロスのことが気なっていた。

プロクロスの太陽信仰はきっと、
太陽凝視もしたのでは?と想像する。

私の場合、がん快癒のいったんは
太陽凝視にあったと今でも、そう思っている。

感謝の意味で、、

プロクロスの「神学綱要」
全211命題を無作為に載せておきたいと思う。



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