わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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繰り返し聴く熊野教授のハイデガー論

このところ寝る前に、東大文学部教授である
熊野純彦さんの講義を聴きながら眠りにつく。

東大駒場で2009年に行われた
学術俯瞰講義という連続講義の中で、
熊野先生は、9回と10回を担当されている。

連続講義は7人、講師がいるが、
本当に考えている人だなと思えたのは
熊野先生だけだ。声でわかる。
あとの人たちは、対象を比較し、並べ替え、
価値付けるという感じがして、、私の内部に
一向に響かない、ありきたりの声の人たちだった。

熊野さんの声は、優しく丁寧でいて、深い。
日々、哲学の千日回峰でもやっていそうに
聞こえてくる。

9.  有限的な生の意味 熊野純彦
The Meaning of a Finite Life Sumihiko Kumano

10.  他者と共に在る生 熊野純彦
Life With Others Sumihiko Kumano

まだ5回くらいしか、聞いていないが、
ハイデガーの存在論がなんなのか、
徐々に感じはじめている。

たとえば、デカルトの
コギトエルゴスム
われ思う、故にわれ在り、

われ在りは、
言うほどに自明なことではない、
と熊野先生の講義から受け止めた。

ある方のブログに、

キリスト教に於いては
「汝の信ずる如く汝になれ」
換言するならば
「汝の信ずるが如くに汝はある」・・
信仰が存在するっていうことなのでしょうか


という言葉があった。それは逆の意味で、
熊野講義と符号する問いかけに思えた。

ハイデガーは、神の存在を前提としない
精緻な存在論を展開し、未完で終わる。
完成させていたら、なーんだ結局、、
となっていたかも、と熊野先生は言われた。
晩年のハイデガーは神の存在を語り
出していたらしい、、

それでも30代のハイデガーの「現存在」は多分、
キリスト教の神と妥協しないだろう、と感した。

ふと、戦前、小学校教師が教室で生徒たちに
「みんな、犬が欲しいかい?」とたずねると
「欲しい」と生徒たちは一斉に応えた。
すると、教師は振り返り黒板に、
「犬」と書き、「さぁみんな、持って行きなさい」と
言ったという、、その話を熊野講義を聴いていて
思い出した。

熊野さんは、60歳で肺がんで逝去した
広松渉の直系の弟子だという、

その講義は、ネットに載っている限り、
何度も聴くことにしたい、、
そこで、右のリンク「気になる情報源」の
筆頭に貼ることにした。
これで、いつでも飛べる。

追記、、
今、文芸評論家、秋山 駿の遺作、
『「生」の日ばかり』を借り、読み始める。

さらに、取り止めもない独り言を、、

秋山 さんは「内部」という言葉を多用する。

それは記憶とか、意識に近い言葉かもしれない。
私のま「内部」は、60細胞の生成流転を統べる
何かを意味する。

内部は、皮膚で被われているが、
外部と内部をわける境界は、かぎりなく薄く、
最極には交わっている。

人は死ぬと、内部から外部に
溶け込んでいく。

生死は潮の、
満ち潮、引き潮みたいなものだ、と
あるとき、前述の小学校教師は言っていた。






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