わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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91歳の母

きのうは病院のかえり、
母と姉が住む実家に、立ち寄った。

白金高輪台駅から向かったが、
都営三田線、南北線が、
交互にホームに入ってくることを
すっかり忘れてしまい、
余計に時間がかかってしまった。

行きすがら、病院に置いてあるフリーペーパー
「ロハス・メディカル 10月号」を読んだ。

トップ記事は「認知症を知る」、、
そこに、こんな記事があった。

大手企業元重役の末路

私が都内の有料老人ホームで相談員として
働いていた頃、
胃ろうをつけた入居者が一人だけいた。
完全に寝たきりで、
話しかけても一切反応しない
重度の認知症の男性だった。

他の入居者の食事が始まる前に、
スタッフが彼の所に行って、
「お食事ですよ」と言いながら
栄養剤をカテーテルにつないで
注入していた。

いつもぽかんと口を開けたまま
宙を見つめていた彼の表情を、
今でも忘れることができない。

ある大手企業の重役だった彼のもとには、
定期的に秘書が見舞いに来ていたが、
家族の姿はほとんど見かけなかった。

家族関係が複雑な入居者は他にも多く、
彼だけが特別な問題を抱えていたわけでは
なかった。

「自分で身動きすらできず、
栄養だけ定期的に入れられて
『生かされている』といった方が近いなあ」
と思った。

「こういう姿で生きることを
望んでいるのだろうか」。



この夏、実家に一度も、行かなかった。

幸い、91歳になる母は、認知症はなく、正気の人で、、
ある種、こわいくらいだ。やるべきことがやれていないから。

胃瘻(いろう)まではしたくない、とハッキリ言っていた。

昔、私が幼い頃、面倒をみてくれた方々の名前が出た。

板橋区大山にいた頃の、高井、高見沢、近藤先生という名だ。
とりわけ当時20代前半だっただろう近藤先生には、
たいへん世話になっていた。もうお顔は思い出せないが、、
どうされているだろうか?

このブログは、コメントをいただくことは希で、それでも
時折いただくブログは、ていねいで、あたたかい。惻隠の情を感じる。

ずっと、こういう感じで行きたい。



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