わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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正を立て国を安ずるという名著

言葉の意味が深く、かつ話の上手い人に
そうそう出会えるものではないが、

わたしには二人いた。

一人は私より5歳ほど上の女性で
その声を聴くたびに、
自分の内部に響きわたる感覚になった。

歌っているのではなく、
話しているのだが、懐かしい感じがして、
その声のトーンが、ジーンとくるのだ。

けれどその人は大腸がんで亡くなられた。
藤原英子さんという人だった。
今も、藤原さんが話された言葉は
おりおりによみがえる。

もう一人は、わたしより10歳くらい若い男性、
SKさんだ。かたぐるしさは微塵もない。

二人に共通するのは、日蓮の御書の講義だ。

昨夜は、講義の初日で、若い男女の勉強会に
まじって、聴いていた。近々、彼らには
ある試験がまっているのだが、
わたしは受けることができない。

SK氏の講義は、切り文句型の話しではなく、
日蓮がいくつのときに、どのような状況の中で
論文や手紙を書かれたかを理解すること、
そこを重くみる。共感する。

そして、「御書は思い出せばいい」と言った
戸田城聖という人の獄中の話しをされた。

プラトンの想起説と似ている。

さて、講義は、立正安国論。

正を立て、国を安ずる、と読む。

1257年、日蓮が39歳のときに、
鎌倉幕府の最高権力者であった
北条時頼宛てに提出した文書だ。

日蓮の立場は、天台沙門の僧歴をもつ。
現代でいえば東大卒の学士くらいか。

一介の僧侶がただ一人、
鎌倉幕府に立正安国を提言したのだ。

例えば総理官邸に提言書を持っていても
守衛の門前払いになるのは確実。

なので、日蓮は時頼の側近だった
宿屋入道に渡し、同時に、
北条時宗に渡した。二通書いたわけだ。
いやもっと、生涯に渡り、
なんども同書を書き、講義をしたのだった。

それは、いわゆる四箇の格言、
念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊と
糾弾する対話形式の論で、

高校教科書に日蓮の説明として、
必ず出てくるものだ。

他の鎌倉仏教の始祖たちと異なり、
先鋭的、排他的なイメージをもたれ易い。

全編漢文で、三年かけて作成された。

何故書かれたか、

「正嘉の大地震」と深い関係があり、、

というところから
SK氏の話は熱を帯びてくる。

つづく




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