わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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一体全体、なんのために書き続けるのか

近所の銭湯は、温泉堀りの櫓が立ち、
掘り始めたのかな?

マンション建設の杭打ちのような振動は
まだ伝わってこない。

体調は、、

乾癬は再び悪化傾向にあり、
五十肩と右手のこわばりも快癒していないが、

気にしないことに。

このブログは、
スキルス性胃がんで亡くなられた藤田憲一さんに
触発されてC型肝炎の闘病記を書くことから
始まった。

さらに、新たな病気の発症にあわせて、、
直腸がん闘病記や乾癬のこととかを書き、

さらに、
娘のこととか、内面的なことまで書き、、

いつのまにか、
なんでも有りのブログになってきた。

私の場合は、、
病気ブログだけでは納得できないからだ。

病気からの再生、
そして自立の道までと、

本来の自分に回帰していかないことには
納得できないのだ。

つまり、勝つことが大事だと。

人生に勝ち負けなどと忌避する人もいるだろう。

全知全能の神に委ねてしまえばいいという価値観
の方もおられるだろうが、、

人格神という意味では無神論者である自分の場合には、
わが人生を、どうにか、勝利しないことには、
一体全体何のために、、と思えてならなくなるのだ。

それがわが60兆の細胞をコントロールする
汎生命(造語)に報いるためにも勝たねばならない。


話はそれるが、

仏教は人といわゆる神の区別はあいまいだ。
内にいわゆる神が内在することを肯定も否定もしない。


そこで自分は勝手に
汎生命の中に、いわゆる神も内在すると思っている。

がん闘病で、その確信は強まった。
表層の自分が、わが汎生命に直結できれば、
がんはコントロールできる、、という確信だ。

それは汎神論というより汎生命論といった方が
そう確信したイメージが明確になる。

だから内部生命論より汎生命論という言葉に
置き換えようかな、、

まぁ、言葉遊びとお赦しあれ。


といった感じで、、

カテゴリーもだらだら付け加え、
仕切り直そうとも思っていない。

タイトルだけのものあるが、
全ては、自分の備忘のために書いている
のかもしれない。

ブログ内をキーワードで検索することが
よくあるからだ。

今日も、次の新たなカテゴリーを付加した。

「じりつとコミュニティビジネス」だ。




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