わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
TOP生老病死と汎生命論 ≫ 「祈る心は、治る力」

「祈る心は、治る力」

今、ラリー・ドッシー著「祈る心は、治る力」(日本教文社)という本をを読んでいる。

図書館にはなかったので、購入した。
こういうタイトルのものは、宗教系の布教本とみなされ、
忌避されるのかもしれない。

たとえば、ホッファーの「True Believer」の翻訳本は、
くだけた言い方をすれば、

「マジで信じちゃう人たち」という意味になるが、
これを「大衆運動」というタイトルに変更してしまっている知恵も
こうした受け取り側の忌避感?を想定し、回避したのかな
と思える。

この本は、祈る力を科学的に研究してみようと
西洋医学を踏まえた米国の医者が書いたものだ。

宗教者ではないので、
どんな祈りが、という優劣はつけてはなく
一律に、祈る力を検証している。

その上で
「祈りは単なるプラシーボ(偽薬)ではない」

プラシーボ効果は、患者自身の信念、期待感、暗示や
「積極的思考」というもによってひおこされた結果である、と。

「単なるプラシーボだ」と、邪魔者扱いする医療関係者が圧倒的だが、
「われわれはもっと口をつつしむ必要がある」と主張する。


全く、そのとおりだと思う。

すくなくともがん患者は、
プラシーボの価値をパラダイム・シフトすべきだ、、

このことは、もう私の思想になっている。
思想とは、おこがましいが、圧倒的に少数者の思いなので、
主張する価値があると思う。

苦しいときの神だのみ、でいいじゃないか。

9年前、
家内の父親は食道がんで急逝したが、
亡くなる半年前、家内にしみじみと
「神だのみしたって、どうにもならない。
治るもんか!」と言っていたという。

それを家内から聞いたとき、自分は返す言葉がなかった。

でも、今は思う。

祈ることで、何かが変容する。
そこから、うっすらと、みえないものが見えてくる。
感じてくるものがある、と。


ただし、その本とは離れるが、、

祈りのOSには、
解像度というか、速度というか、実感というか、

優劣がある、というのが私の立場になる。


つづきは読了後に、また、、


 
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