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わが動的平衡とレジリエンスを信じる自立への橋頭堡

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
TOP健康と病いのこと ≫ 階段の危険と「転重軽受」のこと

階段の危険と「転重軽受」のこと

先月から再び、日曜日だけ、
朝、ある新聞配りのお手伝いをしている。
配るのは25部程度で、30分はかからない。

その新聞の具体は明かさないが、
最近はテレビCMでも見かけるようになり
正直、隔世の感がある。

今朝何気に、その新聞社からもらった
「交通安全のために」のパンフをみると、、


階段は危険!

としてマリナーズのイチローの話が出ていた。

クラブハウスからグラウンドに通じる
通路にも、階段とスロープがあるが、
イチローは必ずスロープで上り下りする。
階段は足を滑らせる可能性があるからと
警戒するのだ、という。

その通り、

たしかに階段は危険だった!

2009年1月23日の日曜の朝
雨は降っていなかったが、
まだあたりは暗いし、ひどく寒い朝だった、、

あっ思い出した、、その朝は
私が新聞配りをする日ではなく、
その日担当のご婦人の代わりに配ることになり、

何の因果か起きた事故だった。

なんのことはない
あるマンションの2階から1階に降りようとして、
その半分の踊り場まで勢いよくおり、反転し、
最初の階段の角に足がかかったところで、
その金属性の滑り止めの凹部分に、
左の靴のかかと部分がはさまり、
あれよ、という間もなく、
勢い尾てい骨を次の下の階段の角に、

ドスンッとぶつけた。痛ったたたぁー

55年生きてきたなかで、
手術やケガで様々な傷の痛みを味わってきたが、

これはベストワンの痛みだった。
頭のてっぺんまで激痛が走り、
チラチラ火花が見えたような、、
耳も聞こえなくなっていた。

事態がわからず、茫然として
階段の下のところにうずくまっていた。

よりにもよって
この新聞?配りしていて

なんで味わなきゃいけないんだ、
そりゃないよ、、と
誰に対してかわからないが訴えたくなり、、
激しい怒りが込み上げてきたのを
覚えている。

意味なんかあるものか、、と

その後痛みはますばかり
家に戻り、寝込む。。
発熱しはじめ、、
なんじゃ、こりゃ、、

1週間は歩行が困難になってしまった。


次の日曜日、
2009年2月1日のこと、

母校の恩師の生前葬を西新宿で行った。

漢文の伝説の教師で、
150人近く集まった。

そこで恩師本多啓二先生は、こう言われた

がんは2人に1人はなるし、
3人に1人は5年以内に死ぬ病気だ、

ぼくは末期の胃がんであり、
余命1年もないが、抗がん剤はやらず、
半身浴で体を温めて、グライダー飛行のように
生きてみるから、最期を見ていてください、、

と朗らかに授業してくださった。

(もう60代前半なのに、濁らず
 輝く美しい目をした先生だった)

一方、かつての生徒側は何十年ぶりかのことなので
ワイワイガヤガヤ私語が飛び交ってしまう、、

私は、冷汗がでるほど尾てい骨が痛く、
自由がきかない身だった。
その分、近くからその最後の授業を一心に聞いていた。。

そのときだ、、

自分もガンになるかもしれない、、という
最初の気づきが、どこからともなく、
さぁーっと知らせてきた瞬間があった。。

その後、お尻の痛みは半年たっても
いっこうにひかず、
というより、奥深い所が疼くような痛みが
残り続け、、

2009年の暮に、友人の兄が
直腸ガン末期だと聞き、

「もしかしたら、おれもガンかも」と
友人に告げ、

2010年3月に調べたら、やはりがんと
判明したのだ、、


何が言いたいかというと、、

階段からの転倒は、、

虫の知らせ、恩寵、、とか
適切な言葉は出てこないが、、

意味のある出来事だった、と思えてならない。

転倒がなかったなら、
がんはズルズルと進行していき、、
気づいたときは後祭りだったに違いないからだ。。


私を担当した外科医は
この物語を全く意に解さなかったが、、

転倒から3年を過ぎ、
がんの転移はない状況を思いめぐらすと、
3年のスパンにおよぶ、
尻もち物語を感じ得る次第だ、、


あぁそうか、、涅槃経の転重軽受(重きを転じて軽く受く)
文字通り、身を持って体験したということか、、

日蓮はこう記しておられる、、
涅槃経に転重軽受と申す法門あり、
先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが
今生にかかる重苦に値い候へば
地獄の苦みぱつときへて死に候へば
人天・三乗・一乗の益をうる事の候、・・・


ぱっときえ~…という擬態語を使う思想・宗教上の創始者は、

小学館の国語辞典によると、「ぱっと」とは
1.急になにかをする様子
2.急に動く様子
3.目立つ様子
4「ぱっとしない」は見栄えがしない、あまりよくない。
とある。


ともあれ3年の時の経過で、けっして「ぱっと」ではなかったが、
転重軽受の機微をようやく気づいたということだ。

尻もちの「意味の変容」が、わが内部生命に芽生えたわけだ。
そして2010年5月26日の早朝、それは直腸がん術後1日目の夜で、
大団円を迎えたのかもしれない…全くの独り言だ。


前にも書いたが
この先もまた同じようなことを
編集しなおしてきっと書くと思う。

それほどに自分の命の器に刻んでおきたい物語なので、、

また書いているなと、お赦し願いたい。


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