わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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粘菌の知性

ちょうど1年前、、
イグ・ノーベル賞を受賞した
研究者、中垣俊之さんの記事を読んだ。

中垣さんは単細胞生物である
粘菌の知性を研究された。

こう語られている。

粘菌というのは
複雑な構造をもっておらず
見た目はマヨネーズのような生き物です。

神経や脳はないのですが、
好きなものには寄っていくし、
嫌いなものから逃げることができる。

粘菌にも知性がある、、ということは
1980年代から主張されてきた。

では「知性がある」とはどういうことかを
考えてみよう、、これが私の研究の原点です。

そこで、

知的レベルを測る試験として
標準的に使われている

迷路を

粘菌を解くような実験条件にして
考えてみた、、


人間が迷路を解く場合

だいたいこういう感じに行けばいい
という見当がつく、、

それと似たように、

正確に一番近い経路は
分からないけれども、
おおよそ経路はこうだろうという動きを

粘菌は示すとわかった。

しらみつぶしに、
あるいはやみくもに動くようなことは
しないのだ。


生き物らしい方法をとる。

そうして

粘菌を一個の生命として

敬意を表せば、

いろんなことに気付いた、と。


粘菌にこう動けという気持ちで
実験をやっているうちは、
うまくいかなく、、

反対に

「こう動いてもらえませんか」という
気持ちで日々接していると、、
いろんなことがうまくいく気がする。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

粘菌研究をされていた南方熊楠を通じて
粘菌は動物なのか植物なのか、
境界線上の生き物と知った。

その程度のことしか粘菌を知らない。

でも記事を読んでいて、、、

私たちの体の中も、
粘菌と同じか、
いやそれ以上の知性があるのではないか、と推測した。

がんは

体の中の、知性の論理的帰結なのでは、、と。


「60兆の細胞をの奥に内在する司令塔」

という考えは、こうした粘菌の延長線上にある。


北村透谷という明治人は
「内部生命論」という散文を書いた。


内部生命はインナーライフの訳語だ。
サクッと青空文庫で読んだ。

透谷の散文とは関係ないが、
内部生命という言葉が気に入っていて、

あえて流用すると、、


日常の生活で意識する自分を
アウターライフとするならば、

それとは直接交流はない
インナーライフが存在すると
考えるのは、、

至極自然ではないだろうか。


体の中をモノのように無知性とみて、
手術したり
放射線をあてがったり
抗がん剤という絨毯爆撃をする前に、、

「ねぇがんさん、このままいけば
 内部生命も、外部生命も、、
 終わってしまいます。

 遠い原核細胞に回帰するのやめて
 ミトコンドリアと協調関係で、、
 動的平衡にシフトしてもらえませんか」

と語りかける。

そう対話する価値あると思い、

そうしてきた、、

私が2クール目の、
抗がん剤を投与したとき、

急激な高熱を発したのは、、

私の内部生命から

リターン・メッセージだと

信じている。 


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