わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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本多啓二先生を囲む会から2年を過ぎ、、

2009年2月1日に鷺宮高校の漢文教師であった
本多啓二先生を囲む会が西新宿で行われた。

結果的に、生前葬であった。

既に胃がんの末期で、抗がん剤を拒否し
自力で免疫力を高める努力されていたが、、

その年の暮に本多先生は亡くなられた。


昨年秋、大腸がん予後をどうするか、
思いめぐらせていたとき、
本多先生が亡くなるまでの間どんなだったか
先生と親しくしていた高校仲間Sから
聞く機会があった。

・本多先生は亡くなる半年前までは
 ジョギングしたり、
 一日何回もお風呂に入ったりして
 血色もよくお元気だったという。

・その後ものが食べられなくなっていったけど
 血色のよさは亡くなるまで変わらなかった。

・囲む会には、別の先生も見えていて
 その方もがんに罹っていたようで、
 抗がん剤をうちつづけ、
 本多先生の亡くなられた半年後に亡くなられたが、
 抗がん剤の副作用が顔に出ていて痛ましいものがあった。

・本田先生は免疫療法に関心をもっていた。

そんなことをSは話してくれた。
これを聞いた頃は、
まだミトコンドリア活性に気付いてはいなかったけれど、、

本多先生の全身細胞のミトコンドリアは増えはじめ、
体調が良くなり、がん細胞と折り合いながら、最後まで
先生のいう「グライダー飛行」をしていかれたのだ、とみる。

「囲む会」で見た本多先生の明るい表情、
それにSの話を踏まえると、
先生の体内のミトコンドリア物語がうかがい知れ、
すこぶる納得がいくのだ。

実は「囲む会」の一週間前、私は階段からすべり落ち
尻もちをつき、火花が出るほど尾てい骨を打撲した。
なので会に出たとき、おぼつかない歩き方をし
痛みをこらえながら参加していた。

打撲は、そのときすでに相当成長していたであろう
直腸がんの部位に相当な圧力がかかり、
がん細胞が破裂し、浸潤を促進させたのではないか、、
という気がしてならない。

その頃から、便秘、残便感、血便が現われはじめだした
気がするからだ。

本多先生が「囲む会」で話してくださったがん対処法は
まさに私のために話してくださったと、
縁起を感じる。

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