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わが動的平衡とレジリエンスを信じる自立への橋頭堡

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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華厳経が気になる

交換神経より副交感神経の方が、
日々の生活リズムを支配しているせいかもしれない、、
このところ自分の見る夢が気になっている。

死により夢がリアルにと、逆転するのではないか。

鎌倉時代の明恵上人という僧侶は「夢記」を残している。
先日、放送大の特別講義で、ユング心理学の河合隼雄先生が、 
明恵上人を熱っぽく語っているのを、たまたま見ていて、、感動した。

あぁ「箱庭療法」は華厳経だなと感じた。
明恵上人は華厳経を本地とする人だ。

韓国仏教の大勢は華厳宗でることも、
今日、五木寛之のBSアーカイブで知った。

華厳経のエッセンスである華厳経唯心偈は次の通り
次の通り。

心如工畫師  畫種種五陰  一切世界中  無法而不造。
如心佛亦爾  如佛衆生然  心佛及衆生  是三無差別
諸佛悉了知  一切從心轉  若能如是解  彼人見眞佛
心亦非是身  身亦非是心  作一切佛事  自在未曾有
若人欲求知  三世一切佛  應當如是觀  心造諸如來

 
心は工みなる画師の、
種々の五陰を画くが如く
一切の世界の中に、法として造らざる無し。

心の如く仏も亦た爾り。仏の如く衆生も然り。
心と仏と及び衆生と、是の三に差別無し。

諸仏は、悉く一切は心より転ずと了知したもう。
若し能く是の如く解せば、彼の人は真の仏を見ん。

心も亦た是れ身に非ず、身も亦た是れ心に非ざるも、
一切の仏事を作すに、自在なること未曾有なり。

若し人、三世の一切の仏を求知せんと欲せば、
応当に是の如く観ずべし、心は諸の如来を造る、と。


これを現代訳にすると、、

心は、巧みな画家が、〔物質・感受・想念・意思・認識という〕さまざまの五陰〔から成る人〕を
描き上げるように、一切の世界においてあらゆるものを造り出す。

心のように、仏もそうであり、仏のように、衆生もそうである。
心と仏と衆生との三者には、区別はない。

仏たちは、みな、一切のものは心から起こるということをはっきりと知っておられる。
もしもこのように理解することができれば、その人は真の仏を見るだろう。

〔だが、その〕心は身ではなく、身も心ではない。
〔しかも両者は、かかわりあって〕いまだかつてなかったほど自在に、一切の仏事を行う。

もしも人が、三世の一切の仏を知りたいと思うなら、このように観察すべきである。
心がもろもろの仏を造る、と。

そして、、

池の蓮の葉にころがる丸い水滴ひとつにも、外部の全世界が映し出されている、
とその経典は説く。


今、イメージしていることが茫漠としている。
だから一瞬の気になる言葉をメモしておきたいのだ。

現代では、作家森敦の「意味の変容」は華厳を敷衍した話にほかならない。
「内部と外部に分かつところの境界が、
 内部には属せず、外部に属している。

 内部とは境界がそれに属せざるところの領域であり、
 外部とは境界がそれに属するところの領域であある」と。

「私たちの認識は、わたしという内部に外部を創造することだと言える」

そこで、次回は森敦の思考を追跡してみたい。

ところで、われわれ多細胞生物の、細胞とその細胞内ミトコンドリアは互いに
内部と外部をどのように認識して共生、進化してきたのだろうか?
 

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