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わが動的平衡とレジリエンスを信じる自立への橋頭堡

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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唱題行仏界湧出仮説 その1

このブログは、自分の中の思考を整理するためにあり、人さまからみればムダ話にすぎない。なので数人?ほんのわずかな方だけがこれを見るだけの状況は、ホッとしている。今、いい感じだ。

実は、長いこと、わが宗教上の疑問があった。

生死病死、その苦しみは題目をあげることによって解決への糸口に、、それはその通り、とわたしも確信する。

だが、何故、題目を持続して15分、30分、1時間と、あるいは一日三千偏と長く唱える必要があるのか、、という素朴な疑問があった。

日蓮の遺文、御書には御本尊に対面し一遍の題目をとなえることの深さを、何度も出てくる。

しかし毎日、長くいっぱい唱えよ、、という遺文はあるのだろうか、多分だが、、ない。実は、まだ御書全編音読は半分で終わっているので断言できないが。

最近になって到達した?この問いに対する自答もどきとして、いくつか断片的にイメージとして、あるものを以下に。

1.見ることと音を出すことの同時進行は、内部、無意識の奥底に入っていける。それが唱題行だ。

ちなみにだが、耳にイアホンをして、今いる状況を遮断するのは、無意識を鍛えることに逆行していて、身体にはマイナスになる。万病のもとになると。

2.「ストーン」というハリウッド映画がある。キャスティングの3人がいい。ある意味、「羅生門」を超えているかも知れない。
ハチの羽音とか、自然の音を感じとることに霊性に入っていく男の話が、通奏低音になっている。わからないとレビューが大部分で不人気だが、実に深く、魅了された。

ひとまず、今日はここまで、続く。

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