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わが動的平衡とレジリエンスを信じる自立への橋頭堡

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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身体の司令塔としての本地

ときおり、拍手のクリックを押してくださる方がおられる。病気の話は遠退き、つたない日々の断想にもかかわらず、感謝。

昨夜は雨降るなか、近所の温泉銭湯·久松湯にいった。受付で、前に外国人三人がいて、帰り客の中年男性が、間に入って通訳をかって出ていた。

その三人はバックパッカーぽく、露天風呂に入りながら、30分以上、各国の旅行で感じたことなどを、ゆったりした英語で話し合っつていた。英語圏でない人もいる感じだったが、なんとなくBGM的しか、聞き耳を立てなかった。わたしの英語力はお粗末だし。

いつもそうだが、露天風呂でよくしゃべっている若者たちが多い。特別な気分になるからだろう、外国人も例外ではないなと感じた。

前から予感していたが、いよいよインバウンドが温泉銭湯にも押し寄せてきたな、、という感慨。たしかな日本の良さの一つに銭湯があると、世界は分かってきてるんだな。

彼らは、借りた茶色のバスタオルを持ち込んできた。逆に、タオルは借りなかったようだ。

ここの温泉は、わたしの乾癬にはいい。毎日入れれば、かなりよくなるのだろが、、
わたしの乾癬は夏場はすこし悪化する。油断大敵なのだ。

温泉につかりながら、掲題のことを考えていた。

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2006年11月2日から
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