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わが動的平衡とレジリエンスを信じる自立への橋頭堡

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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聖教新聞スクラップ帳

1.かれこれ20年になるが、毎週日曜日の朝は、聖教新聞の配達をしている。部数は45部程度で、自転車に乗って配っているが、45分ほどかかる。

2.今朝は雨で、ビニールに入れる作業が加わるので、多少難儀になるが、、配達も意味あることと、体験としてわかっているので、恬淡と作業する。

実際、多くの学会員の方々(おそらくは3万人を超えるであろう「無冠の友」の人々)は、わたしと同様に週に1回程度、代配をされておられるだろうし、、出来る限り続けようと決めている。

3.発行部数550万部、『言葉ともに生きていく』とうたう聖教新聞は、不思議な新聞に違いない。
私の場合、私より上の年代の、普通の方々の体験談とその画像が心をとらえ、滋養になる。長い歳月をかけ、苦労をのりこえた、たおやかな「人格の完成者」を見る感じがして、、虜になる。洋の東西の有名な画家、その画集を見ることよりいいかもしれない。

また、切り抜いた記事を寝かせておくと、、うまく言えないが、豊饒なお酒のように発酵してくるのだ。それは、様々な出来事や、自分の体験的記憶が織り込まれていくせいかもしれない。

そうした市井の感動する人たちの画像を見ていると、創価学会の信仰が、いわゆる「おすがり信仰」でないことが、はっきりわかってくる.。たぶんこうした信仰観あたりが、もっとも肝心なところで、わかりにくいところではないか、、しかしながら、それが世界に広がって来ている。

4.そこで、最近、切り取ってクリアファイルに入れていた新聞記事をスクラップ帳にはることにした。
いまさらだが、これがいいのだ。保存のためではない、座右において、すぐ取り出せることが目的。スクラップ帳の見開き右上には、ナンバリングを打つことにした。そうしておくと、自分だけの本のようになり、このあとも、継続してはることができる気がした。ベルグソンがヒントをくれたのだ。

5.振り返ると、代配を始めた20年前は、慢性C型肝炎で、全身倦怠感の日々だったのだが、よくまぁ、やっていたな、、と自分をほめてやりたくなった。今は、そうした倦怠感が湧き上がってくることは、、ない。

大学の創立者、池田先生は2月に「健病不二」という言葉を聖教新聞の1面で発信されたが、まさにその通りだと感じている。

8年前、大腸がんステージⅢbとの闘いを経験して、寛解を告げられた中で、こうした経緯の的確な言葉はないか?と思いめぐらせていたからだ。その四文字をみたとき、大きく頷いたのは、私だけでなく、おそらく、多くの闘病中の学会員は、そう感じ取られたのではないか、、、

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