わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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わたしの一番の御書

日蓮の遺文のなかで、いつも見開くのは「日蓮大聖人御書全集」(創価学会版)892頁の「義浄房御書」である。51歳、竜の口の後、清澄寺の兄弟子におくられたもので、後代の人が「己心仏界抄」と名付けてもいる。

その中に、私にとって、決定的な珠玉の一文がある、引用ではなく日蓮独自の一文であった。。

ある種弁証法でもあり、いやいや違うな、、世阿弥の「離見の見」のような感じに近い、その対面によるスパイラルな現象論に思えてならなかったのだ。

発見したとき、なんだこれは、スゴいぞと身体が震え、一人勇躍歓喜したのだが、、こうある。

一心に仏を見る心を一つにして仏を見る一心を見れば仏なり

私見では、、
一心に「命の鏡」である御本尊に祈る、
大願をいだいて御本尊に直結する題目を唱える、
その一心は、俯瞰すると、仏になっている、、

(ちなみに、御本尊は「命の鏡だ」と話してくれたのは、ナイツの土屋氏だ。いい定義だと感心した次第。さすれば、わたしたち一人ひとり「命の器」になる)

そう読み解いている。難信難解はもとよりのことで、誤読はよしとしよう。。
 
ただ、デカルトの「われ思う 故にわれあり」をはるかに凌駕する言葉ではないか、、と思っている。

その上で、この一文をどう区切ったらよいのか、、問い続けて来た。

ふと、五行歌の詩人岩崎航(わたる)さんのことが浮かんだ。いや違うな、きのう、若松英輔氏がNHK ラジオで、岩崎さんのことをリスペクトする講演をされていた。それを「らじるらじる」で聴いたのが、きっかけになった。

で、いまの私は、次のような五行にしたいと思った。


一心に 仏を見る

心を一つにして 仏を見る

一心を

見れば 

仏なり



実際に、書画以上に毎日見つめ、長い歳月をかけて、題目を唱え続ける対象、御本尊を持つということは、なんとも不思議な動的平衡を醸成することか、、、

さらに、ベルグソンの「哲学の方法」緒論第1部の一文を引用すると、、

題目を唱える、その「持続は本来の姿を取って現れ、連続的な創造新しいものの断えざる湧出になる」と。さらにベルグソンの言う『湧出』はプロティノスのえエネアデス(一者)に語源がある、、そう思っている。

追記、上記の御書について、わが母校創立者、池田先生は、次の述べられていた。発見したのだ。2011年1月21日の聖教新聞
「随筆 我らの勝利の大道」にこうある、、

不自惜身命の心こそ仏

私たちが日々、読誦している法華経寿量品の自我偈に「一心欲見仏 不自惜身命」とある。

日蓮大聖人は「義浄房御書」の中で、この経文によって御自身の仏界を成就されたと仰せである。


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