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わが動的平衡とレジリエンスを信じる自立への橋頭堡

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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街並みの変容

12 日に、昔仲間の陽一さんから「義理の母Yが亡くなった」と連絡が入った。1年前にYさんの公正証書遺言の作成をお手伝いしたのだ。既に不動産は売却してあったが、預貯金で5千万円くらいあったと思う。

もし、公正証書遺言を作っていなかったら、遺産分割協議書を作らなければならなくなっていた。すると、Yさんとは疎遠になっていた代襲相続人と協議しなければならない。それは、Yさんが希望しないことだったので、、これで丸く収まるだろう。陽一さんが告知しなければ、遺留分の請求などには、起きないだろう。

本題、今月16歳になるコーギーの散歩をしていると、街並みの変化が気になってならない。大邸宅が売却され、細かく分筆された建て売り住宅が目立つのだ。

散歩をはじめると二分くらいすると、「山田直」という表札のある200坪くらいの邸宅があった。

どうやらご主人は、数年前に亡くなられた感じで、老齢の未亡人が、主の蔵書を廃棄していて、門前に本の山が積まれていることが、何度もあった。

その廃棄本を抜き取りはしなかったが、珍しい本もあったりした。ご主人は文系の学者ではないか、、と気になり、検索すると慶應の仏文学の教授をなさっていたようであり、詩人でもあった。その詩集本はAmazonで高額表示されていたが、、

この国の最高学府の名誉教授だった自分の叔父もそうだったが、肩書きや物というものは、死と共に、引き潮のように跡形もなく、消え去っていく現実を見せられている感じがして、、遺族には蔵書は無用なものでしかなく、、これを無常と言わずして、なんであろう。

市井の蔵書家は、本は生前のうちに処分する方がまだいいのかもしれない。

冒頭の陽一さんは、雑談の最後に、こう言った。
「建て直した自宅に愛着はない。残債もある。これからは子どもたちのことを踏まえ、不動産の始末をつけておこうと思う」

不動産の処分、これは、他人事(ひとごと)ではないな、、

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