折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
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佐藤優「先生と私」を読了した

1.このブログは、長いことコメントをいただけてなかったが、今日、superpesonさん という、初めての方からコメントをいただいたとわかり、素直にうれしかった。C型肝炎治療の、武蔵野赤十字病院から国府台病院へと、最終段階の病歴が、私とよく似ておられた。多くの方々と同じように、superpeson さんもSVRになられている。あらためて、ハーボニーに感謝。

superpeson さん、いつか吉祥寺あたりで、お会いしたいものですね。わたしはいつも、立野町から成蹊大学わきにある半キロくらいの直線の道路を自転車で通り抜けると、吉祥寺に来た感じがします。

2.このところ、Amazonプライムで映画を見ることが多い。DVDで所有するという意味がどんどん希薄になる感じがする。
①「ミレニアム、ドラゴンタトゥーの女」を再び見たが、やはり小説の方がいい、
②「13時間」という、2002年9月11日リビアの米在外公館が襲撃された事件を扱った映画。傭兵の元軍人たちのアラモの砦のような話で、壊滅は免れた。
③「ビューティフル」・・・もう何がなんだか、美しくない映画だ。
④「エクスマキナ」・・・脇役で出ている日本人ハーフの女性が美しい。

3.元外務省主任分析官で、佐藤優さんという作家がおられる。この方のラジオのコメントはネットでチェックして聴くようにしている。そのインテリジェンスを聴きたくなるのだ。惹きつける何かが佐藤氏にはある。今佐藤氏は、曙橋あたり住んでおられるようだ。たしか、肺がんでなくなった戸井十月さんも曙橋に住んでおられたな、、実はわたしも半年ほど住んだことがあるので、その街の空気感はわかる。

4.今朝から、佐藤優氏が書かれた「先生と私」を読んでいる。大宮の公立中学から県立浦和高校に入るまでの話。義務教育時代に佐藤優という人間が、どう出来上がっていくのか?その根っこに、誰がいたのか知りたかった。中学1年の塾の国語教師と数学教師の出会いが決定的だった感じがした。教師の氏名は明らかにしていないが、その指導方法がいいのだ、、自分も受けてみたいと思った次第。

4-1.佐藤優氏と五木寛之の対談本で、その国語の塾教師は、岡部宏という人だった。但し、検索をかけても、あらわれない。市井の人として、無名を貫かれているのかもしれない?

5.追記、、5日に「先生とわたし」を読了した。落ち着き払っていて、もの怖じしない佐藤氏の目の力は、すでに、中学時代にはあらわれていたのではないか、、と思えた。私より6歳下だが、その時代の空気感は同じものだったに違いない。学生運動の最終局面、連合赤軍あさま山荘事件のころに、佐藤さんは中学に入っているわけだし。理系から文系への関心のシフト、、キリスト教とマルクスとロシア語に強い関心を持っていて、向学心はひたぶるなものがあって、こりゃ、脱帽だ。

6.あっ、思い出した。あさま山荘事件で殉職した機動隊員の一人が、わたしの中学の同級生の父親だった。家も覚えている。一度だけだが、挨拶したこともあった。リアルタイムのテレビ報道の画面でその名が出たとき、すぐに彼の父親だとわかった。クレーンで釣り上げたボーリングで、山荘の壁を破壊する様もを見ていて、なんともいえない「やるせなさ」を感じていた。あの過激な人たちを一方的に非難はできない自分がいた。あの異様な光景は、反体制にとって、流血革命の蹉跌だった、、

1990年代に、和美峠近くをツーリングしていて、忽然と、あさま山荘を見えたとき、思わず声を上げた。あそこにあったんだ、、最期の砦にした連合赤軍の心境が、わかる気がした。負の大団円、、騒擾の舞台にふさわしい、屹立した場所だった。

7.戻る。その先生とは、一人の師ではないのだ、両親、叔父、牧師、塾講師、大学教授、中学の担任教師みんなが、佐藤さんにはかけがえないの先生だったとわかった。それと、沖縄や北海道で出会った人、旅そのものもまた、偉大な先生だったとわかる。

8.塾の国語教師は、佐藤さんたち中学1年の塾生に、島尾敏雄の「出発は遂に訪れず」の授業をする。ホワイトボードに現実存在と書いて「実」と「存」に○をつけ、こう解説する。
「実は、“ある”ということは、とてもむずかしい概念だ。私自身の人生は1回しかない。また、いまこうして、みんなと勉強しているこの瞬間も1回しかない。そして繰り返すことができない。この1回、1回を大切にしていくことが実存なのです。島尾敏雄の小説、戦争の特攻のような経験をすると、誰もが実存について考えざる得なくなる。こういうことを中心に考える哲学で、実存哲学というものがあります。サルトルとカミュが中心人物です」と。すると、、ある女子生徒が「島尾敏雄の特攻体験は、ドストエフスキーの体験と重ね合わせて、理解することが適切でしょうか」と質問する、、のだ。P104も、ここのくだりは圧巻だった。

中一の生徒たちがそんな質問、、自分の中学時代を振り返って、、ありえない。
わたしの場合、島尾敏雄の、その小説は、高校出て10年後に母校の国語教師、北上先生を囲んで輪読会をやったときに、課題となった小説だった。28歳のときでさえ、島尾敏雄の文章のリアルさ、きな臭さを感じてはいたが、「実存」という言葉は思いも浮かばなかった、のだから。

そうして今、確信した。できるだけ「正確な質問をすること」、、人生は、いかに正しく問うかが大事になる。これから先、生き方の中心において、意識しよう、、実際そうしてきたわけだし、グーグルの検索にしても、どういうキーワードを入れて尋ねるかによって、結果は千差万別だし。。

するとカルロスゴーンがこういっているのが、検索でわかった。
正確な質問をすれば、正確な答えが返ってくる。
曖昧な質問をすれば、曖昧な答えしか返ってこない。

まぁ、月並み言葉ともいえるが、、それは、わたしの言いたいこととは、微妙に違う。正確な答えが直ちにかえってこなくてもいい、時間がかかってもいいのだ、、質問したことを記憶してさえいれば、、

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