わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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乾癬、貞永式目その他雑感

1.今年はまだ四分の一を過ぎただけだが、今年の流行語大賞に「忖度(そんたく)」がノミネートされるのではないかな。もしかすると、民間もそうだが、中央官庁のような権力の集中する環境においては一段と、安倍首相をはじめ上司に気に入られたいと、忖度すること、そのことこそが、犯罪や逸脱に走らせる大きな原因なのではないか?と素朴に思えた。

それにしても100万円の寄付行為の有無がこれほど真っ向から対立することなんて、あるのだろうか、安倍さんの選挙区外であり、刑事訴追になるわけないわけで、「藪の中」には何もない。野党が安倍さんの道義的責任の追及に、躍起になっているだけだ。

2.ハーボニーを飲み終えたのが2016年2月8日で、1年以上経過したが、ここに来て体重が67kgと3kgくらい重くなっている。原因はまず、肝臓の正常化によると考えているが、歩かなくなっているから運動不足にも、あるだろう。。

胴回りにぜい肉ついている。還暦をすぎ、やたら体重が減ることは好ましいことではないとわかっている。65kgくらいがいい。

年をあけた頃から、やや乾癬が目立つ。体重の増加と少し関係があるのでは、と思っている。ヘパリン類似物質というクリームは、やはり塗らないといけないな。

3.長女は小学5年が終業し、4月から最終学年になる。担任の田代先生も、どうやら代わる感じがする。たぶん当初採用された品川区か、戻るのではないかと思う。その方がご自宅から近くなるだろうし、ご自分の子どもの、保育園の送り迎えがラクになるにちがいないと推察。

4.2歳の次女は、ずいぶん言葉を覚えてきた。「なんだこれ~」「じぶん、じぶん」「アンパンマン、書く~」「はんぶんこ」「あーさいよ(うるさいよ)」、、、今家でのお気に入りは、勉強用の椅子に乗り、回転させることだ。目が回るのがおもしろいらしい。

5.今、本は鎌倉時代の華厳宗の明恵という僧侶について、読んでいる。心理学者の河合隼雄が書いた「明恵、夢を生きる」が、おもしろいのだ。

明恵は清僧だった。それは死に際でわかる。その立ち居振る舞いが美しい。こうだ、、
「今ハ臥シヤスムベシ、ソノ期近ヅキタリト覚ユ、カキオコスベカラズ」と言い、右脇臥に臥した。

弟子の定真が「ソノ期スデニ近ヅキ給ヘリト見ユ」と告げると、目を見開いて 「其ノ事ミナ存知スルナリ、又年来習学シテ 思惟観察セシトコロノ法門 コトゴトクミナ心ニ浮ビテ 一事モワスレザルナリ」と言って目を閉じた。

弟子の喜海が枕元近くによってくると、かすかな声で明恵は「我、戒ヲ護る中ヨリ来ル」と告げた。これが最期の言葉だった。そうして

「其ノ後ソノ形チ 歓喜ヲヨソヲイ タチマチニ顕ハレ、 微咲ヲ含メルガゴトクシテ エンゼントシテ寂滅ス、春秋六十埃 、同廿一日夜、禅堂院ノ後ニ葬斂(そうれん)ス、ソノ間 形色 アヘテアラタマラズ、眠レルヨソヲヒニ コトナラズ、又十八日の夕方ヨリ異香恒ニ匂フ、諸人多ク嗅グ、葬斂ノ後両三日の間、異香猶ヲウセズ」


明恵は命懸けで、多くの人、とりわけ多くの女性たちをを助けた。法華経の行者でなくても、現象として、成仏相は疑いないだろう。陰徳あれば陽報ありの人生。

新鮮だったこと、貞永式目をつくった執権、北条泰時は明恵を、人格的に、心服していたことだ。貞永式目は「ただただ道理をあらわしたのだ」と北条泰時は、北条重時宛への手紙に書いている。くわしくはこうだ、、

多くの裁判事件で同じような訴えでも強い者が勝ち、弱い者が負ける不公平を無くし、身分の高下にかかわらず、えこひいき無く公正な裁判をする基準として作ったのがこの式目である。京都辺りでは『ものも知らぬあずまえびすどもが何を言うか』と笑う人があるかも知れないし、またその規準としてはすでに立派な律令があるではないかと反問されるかもしれない。しかし、田舎では律令の法に通じている者など万人に一人もいないのが実情である。こんな状態なのに律令の規定を適用して処罰したりするのは、まるで獣を罠にかけるようなものだ。この『式目』は漢字も知らぬこうした地方武士のために作られた法律であり、従者は主人に忠を尽くし、子は親に孝をつくすように、人の心の正直を尊び、曲がったのを捨てて、土民が安心して暮らせるように、というごく平凡な『道理』に基づいたものなのだ。

山本七平は貞永式目は日本的革命のエッセンスなのだと指摘している。世界的に見ても希な法制だったとし、思想的バックボーンに明恵がいたと山本七平は見切っている。実に新鮮。

明恵は、日蓮が10歳になったときに亡くなったが、二人には通底するものがあったと、わたしはみている。明恵が親鸞のように90歳まで生きていたなら、二人はきっと対面していたはず、、華厳は深淵であり、日蓮はさまざま引用されておられる。もし対面していたたら、にぎやかに、華厳対法華の、深くかつ真剣な宗論を交わしていたと思う。

これはわたしの勝手な史観だが、道理の一端である貞永式目が日蓮を法難から守ったのだとみる。
竜ノ口で、日蓮が首をはねられる法的根拠なぞ、貞永式目にはなっかったのだ。弟子の四条金吾に書いた「仏法は道理」という日蓮の言葉と、北条泰時の「道理」は響きあうものがある。明恵と北条泰時と日蓮という系譜はあるように、感じる次第。

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