わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る

今は2017年3月18日だが、、遡及して書いていて、1983年3月31日の記事にする。

わたしは1980年10月1日から1983年3月31日までの2年6か月間、新橋にあった大和産業株式会社の総務部にいた。同社が2013年5月に倒産したようだ。「大和産業 松本正毅」という代表者名で検索して、以下の通り、出てきたのた。

2013年5月20日月曜日
大和産業 倒産理由と戦艦大和
大和産業は、戦艦大和の設計者が創業した企業として有名であるようですね。大和産業は、低収益であることから推測すると、固有の技術や得意の市場を育成できなかったこが、倒産した理由のようですね。

戦艦大和の設計者が創業
大和産業 倒産理由と戦艦大和について、
2013年5月20日の東京商工リサーチが、「戦艦大和」設計者が創業した大和産業が破産したことを報じているので見てみましょう。「戦艦大和」の基本設計に携わった故松本喜太郎氏が創業した大和産業(株)(TSR企業コード:291067158、横浜市鶴見区、松本正毅代表)が5月17日、東京地裁に破産を申請した。
大和産業は、戦艦大和の設計者が創業した企業ですが、破産を申請しており倒産しています。大和産業の創業者の経歴について見てみましょう。

大和産業の創業者は海軍で設計に従事
創業者の故松本氏は昭和3年、東京帝国大学工学部船舶工業学科を卒業後、海軍技師大佐として海軍の艦艇設計に従事し、大型駆逐艦「秋月」、航空母艦「伊吹」のほか、戦艦大和の基本設計にも携わったことで知られる。
大和産業の創業者は、海軍で設計に従事していますが、戦艦大和の基本設計の他にも、防空駆逐艦として有名な秋月の設計も行っていたエンジニアのようですね。

大和産業と戦艦大和の関係
戦後の昭和23年6月、運輸省払い下げの鋼材・鉄屑を製鉄メーカーに販売する大和産業を設立、社名は「戦艦大和」の「大和」をとり大和産業にしたと言われる。
大和産業と戦艦大和の関係は、戦後、会社を設立した際に名前を同じにしたようですね。大和産業の創業者が、戦艦大和の設計者ですので名前に思い入れがあったのでしょうね。

多角化による売上拡大
その後、主要業務は医療機関向けのシステムやソフト、ハード販売のほか、地下鉄向け車両資材の販売、造船・橋梁業者向け資材販売などに変更、ピークの平成1年9月期の売上高は約55億円をあげていた。
大和産業は創業期の事業から、取り扱う製品を拡大することで売上を伸ばしていたようですね。大和産業の主要業務を見ると、どういった技術蓄積があったのかは、いまいちはっきりとしないですが、戦艦大和など創業者の設計技術がどう生かされたのか気になりますね。

資産リストラで売上が急減
しかし、収益面は低調で慢性的な業績不振に歯止めをかけるため資産売却で財務改善を図っていたが、24年9月期の売上高は16億1957万円のまで落ち込み、資金繰りが急速に悪化していた。負債は7億3281万円(平成24年9月期時点)。
大和産業は資金繰りの改善のために、資産リストラで売上が急減しており、売上が最盛期の3分の1以下に落ち込んでいます。
大和産業の平成1年9月期 売上高 約55億円
大和産業の平成24年9月期 売上高 16億1957万円
大和産業は、リストラにより売上高が急減していますが、収益面が低調である点が業績不振の理由です。大和産業の倒産理由は、自社固有の強みを構築できずに、低収益が続いたことにありそうですね。


以上だ。そこで、つれづれに思い出すことを。

1.わたしがいたのは、新橋に本社がある頃で、創業者が前立腺炎か前立腺がんで亡くなる直前だったと思う。社長室には戦艦大和の大きな白黒写真が掲げられていた。創業者はお公家さんみたいな容貌で、優しい感じがした。社員は70人くらいだろうか、鉄道系の商社だったが、医療用の計算機や産業ロボットとか、取り扱っていた。何かを企画開発する力はなかった会社だった。

2.社長室には、何度か、伊能忠敬の子孫、伊能を名乗る老人がきていた。代表権は長男の松本正毅氏が持っていて、わたしが面接したのも、この方だったと思う。声の大きい押し出しの強い人だった。

3.総務部長は阿部さんといわれたが、すい臓がんで急逝された。直接の上司は安田さんという方で、辻堂から通われていた。「ほんと、いろいろなことがあるよ」という言葉が口ぐせだったが、それを聞くのは嫌ではなかった。

4.そのほか、想い浮かぶお名前は、小野さん、能川?さん、市東さん、高橋さん、藤井のおばさん、石阪さん、若い藤井さん。社内旅行もあったと思うが、どこに行ったのかは定かではない。


5.一番幻滅したのは、1981年頃だろが、税務調査がはいり、奥の倉庫の部屋をつかったが、1日で調査を終了されたことだ。その対応の下働きをしていて、粉食決算をやっているのかと気づき、愕然とした。なのに株主配当はしていた、、たこ配だった。

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