折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
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感想「ひとたびはポプラに臥す①」

さて掲題の作家、宮本輝氏の西域紀行エッセイ6冊のうちの①を、遅ればせながら、二週間かけて読了した。朝、モモの散歩のときに集中して読んだのだ。そこでAmazonのレビューをみると、10年以上前の書込みあるだけで、このまま、ほってはおけない気になった。

しばらく考えて、そのレビューを、思いっきり長いものを書こう。そのための箇条書きを以下に、、

1.主題は鳩摩羅什、けれど通奏低音としては「ポプラに臥す」に象徴される何かではないか。

うまく言えないが、この本は、反→正→合が「匠なる絵師」のごとく展開されていて、、合は「ひとたびはポプラに臥す」に落ち着く、そう読める。もとよりヘーゲルの弁証法は正→反→合ですが、ある方が反→正→合の話をされたのを、にわかに思い出した次第。

2.いま一番響いている箴言は、166頁のところ。
・・・徒然なる心は文章の行間に秘めたのである。けれども、そのことは言わずに我慢した。
〈感じる〉という能力においていかに狂人であっても、私が常識を逸脱した行為をやり始めたら、私は小説を書けなくなるであろう。
人間として不自然な部分(それは肉体的欠陥ではない)を持つ人は、必ずその部分が他の部分にも枝葉を伸ばすものであることを知らねばならない。

この「必ず」という強い言葉は、心にのこる。そうそう書ける言葉ではないからだ。

3.威の刑務所で、ポプラの大木に巻きつけられていた色白の青年の光景が、読み終えた今も、気になった。20年すぎたその彼は、どうされているだろうか、生きておられるだろうか、と。

以上の内容で、宮本輝公式サイトのBTC(掲示板)に書き込むと、お仲間で、、私がリスペクトしている康さんという70代の男性の方から、次の言葉をいただいた。
本書は、不思議な魅力のある書です。単なる紀行文ではない哲学書ではないかと。
鳩摩羅什が東方に伝えようとしたものは「百年河清を待つ」という「どうしようもない生命の傾向性」をその人にとって善なるものへと転化する方法であったのだ、とはいったいどういうことなのでしょうか、
答えを導き出すのに長い時を要します。
北大の構内にあるポプラ並木は何の感慨も起こしませんが、河西回廊に延々と続くポプラ並木は、1000年も前から人を暑さ、寒さから守ってきた自然の防波堤であったのでしょう。


康さんの文章から醸し出す心根が、いい。いつも、そう感じる。

たしかに下世話な会話も出てくるが、全くもって哲学的紀行文なのだ、、ただ「生命の傾向性」という基語は聞き覚えがあり、あらましは思い浮かぶものはある、、点と点はつながっている。

1970年代に歴史学者の色川大吉さんがリスボンからテヘランだったか、ワーゲンのミニバスみたい車で走破する紀行文「ユーラシア大陸思索行」という本を出されたが、一読したものの、再び読み返そうとは思わなかった。はるかに「ポプラに臥す」がいい。

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