わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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すい臓がんカフェという量子論的集合知

1.飼い犬、コーギー犬のモモは今日、満15歳になった。ひとまず元気だ。
最近、次女が餌やりに熱心になっていて、モモの排泄のリズムが狂い出し、家の中で脱糞するようになった。まずい、ひとまず餌箱を隠すことにした。

2.昨日、すい臓がん予後のMさんから次のメールが届いた。

私は、2/13に受けたCT で、嫌な兆候があり、3/1に PETCTを受診することになりました。明後日2'26には、初めて「すい臓がんカフェ」にも行ってみることになりました。

70名も参加するそうで、重力波治療を受けた人の体験談も聴けるそうです。わたしは、何でも無いときは本当に元気モリモリなんだけどな。昨日は、13回目の抗癌剤の点滴のひでした。

T病院にも、抗癌剤を専門に診る、臨床腫瘍科というのがあり、今は、外科の先生にみてもらってるけど、腫瘍マーカーの上昇が心配なのと、今後の治療方針や生き方などを含めて相談にのってもらえる専門の所に移ろうと思っています。

今より強い薬に代えてみるか?と外科の先生にいわれながら、実はなかなか踏ん切りがつきません。
看護師さんに聞いたら、髪の毛は、全部抜けるらしい。吐きけとかは、あまりないけどって。

昨日、娘に、リンパ節に転移の疑いあり、って言われて、petを受けることになったと言ったら、私以上にショックを受けてしまったようでした。今まで、なんともなかったのにって。

今年から、来年早々にかけて、ある手続の更新の年なので、なんとか、それはやりきりたいと願っています。
転移したら、もう、逃れられないのか?次の治療は、どんなものが、あるのか?明後日は、色々お話を聞いてみたいと思います。なんとか40人のうちの8人に入りたかったな。

1月の末に、一緒に手術受けた同室の人から電話もらったら、肝臓に転移があり、今は、抗癌剤も副作用で、ストップしていると言ってました。私は、どこがお悪いのですか?と言われる位元気だったのにな。でも、最後まで諦めないで頑張ります。


3.その「すい臓がんカフェ」は、すい臓がんサバイバーの木下さんが主催する患者会だ。木下さんにお会いしたことはない。が、良心的で、インテリジェンスも高いに違いないと感じていた。木下さんの患者として感性は抜きん出て、高いからだ。

4.Mさんに対して、わたしの直腸がんやC型肝炎ごとき体験で、軽々に、何かを語ることはできない。切実さのレベルが違う。なので、真っ先に木下さんの患者会の存在を知らせ、強くすすめた。生き残るためには、最新情報の収集が必須になる。また、いろいろな症例を、具体的に同病者の語らいを通じて、感じ取ることがサバイバーの資質ではないかと思う。

ちなみに、すい臓がんは木下さんのブログ、肺がんは長谷川一男さんのサイトが、、双璧だと見切る。スタンスは、よく似ておられる。

5.カフェから戻られたMさんのメールは、こうだった。

すい臓がんカフェに参加してきましたょ。行って良かった。本当に。皆さん切実な思いを抱きながら、日々戦っていました。何も手を打たなかったら、座して死を待つのみになってしまいます。ドクターと話し合って、治療方針を決めていました。

私が聞きたかった抗がん剤の話もその治療をやってる人が多く、副作用の事など、しっかり聞く事が出来ました。
意外に若い人も多く驚きでした。傷病手当金をもらって、治療に専念してる人や遠く広島から来た親子などいました。

最初の講演では、56歳で手術不能と言われて、リビングニーズ特約で保険もらった人で、重粒子線照射高度先新医療をされた話、、中略、、

私も、アブラキサン➕ゲムシタビンで頑張ろうと決心しました。脱毛は、100%だそうなので、医療用ウィッグを準備します。

重粒子線は、300万位かかるらしい。最後の手段にとっておきます。皆さんと再会を誓って別れました。ブログでも追いかけてみます。
では、また。ありがとう。


6.そのカフェには、不安を払拭させ、決断をうむ何がしかの力がある、とみる。それをわたしは勝手に「量子論的集合知」と名づけている。量子場の力だ。

7.脈絡はないが、、哲学者ベルグソンはこう言った、

ある事物を絶対的に認識するとは、その事物の中に身を置くように努めて、内からそれを認識することだ。
絶対的な知識、つまり内部から端的な知識を得るには、中核に達する知覚によって主人公自身をその個人的で、独自的なものにおいて捉え、一瞬の間、主人公と一つになることが必要であろう。

すると、源泉からあふれ出るように主人公の言動、挙措が自然に流れ出てくるように思われることだろう。その生物体の創造的な観念を内側から知覚している。

つまり、あるものを絶対的に認識するとは、それ自体において内部から単一なものとして認識することであり、相対的に認識するとは、外部から他のものとの関連において、複合されたものとして認識することだ。


以上のベルグソンの言葉はプロティノスの言葉かと見紛うほど、表現の機微は似ている。上記の「主人公」をがん細胞と読み替えていい、、そうわたしは思っている。

がんこそは、その中に身を置くように、努めて内部から認識することだ。それにより、がんは変容し、退縮する、だろう。

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