折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
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映画「沈黙」の、外在と内在について

今朝10:10に、脳溢血で入院していたDさんが、亡くなった。詳細はわからない。入院は15日間だった。享年47歳、私より一回り以上若い、お子さんは小さい、、すこぶる、残念だ。

1.マーチン スコセッシ監督の「沈黙」を観た。2時間40分の大作。1971年に遠藤周作の「沈黙」を読んでいて、原作に近い感じがして、懐かしかった。篠田監督の「沈黙」は観ていない。初めてその本を読んだとき、単純に、人格神はいない、そう感じた。沈黙を破って、現前する神なんて、果たしているのだろうか?と。イエスも、釈迦と同じ人間でしょう、そう思った。

2.日本に来たイエズス会は、スペインとフランスにまたがる地方の、数名のバスク人によって創立した団体であり、軍隊のようなカトリックの結社だった。その布教は既成の宗教、神社仏閣に対して、戦闘的だったようだ。

3.映画の中で、霊操(れいそう、ラテン語: Exercitia spiritualia)という言葉が出てくる。鍵言葉だ。イエズス会の創設者イグナチオ・デ・ロヨラによって始められたイエズス会の霊性修行方法になる。岩波文庫から出ていて、なぜか持っている。霊操を検索すると、

「体操」で身体を鍛えるように「霊操」は霊魂を鍛えることを目的とする。修行の到達点においては神と深い人格的交わりを持つ=神の御意志を見出すことが目指される。

この映画の、ロドリゴの沈黙の内にあって、つぶやかれる言葉が「神と深い人格的交わり」によるものなのか?
その神は外在か内在か、、ここが、肝心なところだろう。「踏むがいい」の言葉は、私には、ロドリゴの内部にある気づきに、思えてならなかった。

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