わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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作家宮本輝&行定勲監督の対談

NHKEテレの作家宮本輝&行定勲監督の対談を見た。前半は作家の仕事場であるご自宅、後半は監督のベース基地の熊本だった。
宮本輝という作家が、いかに一貫しているか、まざまざと知る思いだった。実は、数年前にもEテレでインタビュー形式で応える番組があったが、導入部分で、文学の師、池上義一氏が「小説の冒頭の文章を削る」話、母親が睡眠薬で自殺をはかって病院に担ぎ込まれたとき、宮本輝本人は(病院に行ったら母死んでしまう)と思い込み、自宅の押入れのなかで井上靖の「あすなろ物語」を読み続けていたこと等、ほぼ話す内容の骨子は同じだったのだ。

そこで久々、その公式サイトにこう書き込んだ。

みなさま、こんにちは、ものすごく、久しぶりに書き込みます。
行定勲監督との対談、二度、わたしは観ました。
文学の師、池上さんのこと、押し入れで読まれた「あすなろ物語」のお話のこととか、数年前に、同じNHKで輝先生が話されていたことを思い出しました。あらためて、先生の創作の根っこにある出来事なのだと感じていました。

また、お話を聞いていて「人はいかに気づくかどうかが大事だな」とつくづく感じて、、わたしの場合、弟子が師を破門してしまうまでには至らなくても、遠ざかる所業は容易にしやすいタイプだな、と感じておりました。

あと監督に短編の映画化をゆるされたとき、何故か、昔、輝先生がここを訪れる人たちに、短編小説を書いたら見てくださるという、あの話を思い出しました。行定勲監督の眼からワクワクとした歓びの光を感じました。その映画は、必ず観ると決めました。

今、「ひとたびはポプラに臥す」を読んでいます。1995年5月25日に旅立たれたのですね、2010年5月25日に直腸がん手術したものなので、5月25日という日付に反応してしまいました。自分に引き寄せて読む癖は、どうにも治せません。なので遅読まま、少しずつ読むつもりです。


追記、、2007年に「青春と読書」に載った「短編を書く楽しさ、恐さ」と題する宮本輝さんのインタビュー記事を、長いが、以下に掲げておきたい。師弟の対話の機微が垣間見える話だ。

一九四七年生まれの宮本輝さんは、今年還暦を迎えるとともに『泥の河』で作家デビューしてから三十年を迎えました。それを記念して、単行本未収録の「スワートの男」を含めて短篇作品全三十九篇を収めた『宮本輝 全短篇』(上下二巻)が刊行されます。
宮本文学における短篇小説の位置づけ、また三十年にわたる作家生活を振り返って、あらためて文学について語っていただきました。


 「あとがき」でも書きましたが、短篇を書くのは好きなのですが、同時に短篇を書くことの恐ろしさを知っているつもりです。短篇は、書き始める前から先が見えないんです。普通は、長篇のほうが先が読めない段階から筆を起こすというふうに考える方が多いかと思いますが、ぼくにとっては短篇のほうが先が読めない。もう一ついえば、先が読めて書き出して書いた短篇というのは、出来がよくない。
 短篇を書くのはある種の恐怖が伴なうんです。長篇は体力的になかなかしんどい仕事ですけれど、短篇は精神的に非常につらい作業です。だから、短篇の依頼を引き受けるのは、かなり勇気が要るというか、度胸が要るというか。自分のなかに今書きたい短篇が何もないのに、短篇を書かなきゃいけないときは苦しくて、その苦しみは長篇よりもはるかに深い。それだけ短篇というのは難しいものだと思います。
 それから、長篇の場合は途中にいろいろな起伏や緩急というものがどうしても必要になる。緊張感ばかりで長篇を引っ張っていくことはできないし、読むほうもそれではしんどい。どこかで、「緩み」や「ダレ」というものも要るんです。長いこと小説を書いてくると、一種職人的に、その呼吸というのはわかってくるものなんですけれども、短篇というのはそれができない。ボクシングでいうと、一ラウンド三分間ラッシュし続けるみたいな、そういうものだと思います。
 そうした短篇の難しさ、大切さを最初にぼくに教えてくれたのが「わが仲間」という同人誌を主宰していた池上義一さんでした。ぼくが池上さんと初めて会ったのは二十八、九のころで、ちょうど『螢川』をこねくり回して書いていたときです。池上さんが、「いっぺん書いたものをあれこれいじくり回すよりも、別な新しいものを書け、どんどん新しいものを書いていったほうがいい。宮本君、この『螢川』はちょっと置いとこう、寝かしておこうよ」と。
 それで心機一転して、『泥の河』にとりかかって書き終えたわけですが、そこでようやく少し文章がわかったというか、抑制や省略するということ、ここは書きどころだ、ここは書きどころだけど書いちゃいけないんだとかという呼吸法みたいなものが、つかめた気がしました。だから、もしあのまま『螢川』ばかり書き直してたら、永遠に先へ進まなかったでしょう。池上さんは、ぼくの性格も含めて、ぼくの能力や持っているものを非常によく見てくれていたんですね。

その池上義一さんから、「最近、ほんとうの意味での短篇作家がいなくなった。みんな三十枚で書けるものを三百枚に水増ししている。だけど、宮本君、小説家は三十枚の短篇を書けるようにならなきゃ一人前じゃない。百枚で書こうと思うものを三十枚で書くんだ。三十枚で書けるものを百枚にするなよ。それで宮本君、プロの作家になれたらな、三十枚の短篇が書ける作家になるんだぞ」っていわれたんです。

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