折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
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ひとまず最後の診察を

1.先週19日の木曜日は、国府台病院でハーボニー投与終了から48周目の検査だった。朝食ぬきで、10時半に病院に到着した。この日は、採血→骨密度検査→エコー→診察の手順であり、何ら体の不安はなかった。

2.まず、いつものとおり採血室へ、看護師の吉田さんがおられたので、すぐ挨拶した。3月末で退職されることを知っていたからだ。私の次回検診は4月以降とわかっていたから、今日がお別れという思いがあった。吉田さんは八戸の出身の方で、、知り合いに何人か八戸や青森の人がいるので、顔の表情とか、なんとなく共通したものを感じていたし、、

3.なんといっても2015年7月初めて国府台病院に行ったとき、驚きの体験が印象に残っている。昭和っぽい古い病棟で、精神疾患の人々がいるとも聞いていたし、なんだかおどろおどろしい病院だった。医療事務の人々は、書類の山の中で、てんてこ舞いしていた。新しい病棟への引越し前夜だったから、そういう光景だったのかもしれないが、黒澤明監督の映画「生きる」の舞台、戦後の市役所のような光景と重なって見えた。なんじゃ、ここは、滅入るな。

4.それでも、溝上先生の診察は新しい病棟だったのは、救いだった。しかし、採血室はまだ古い病棟にあった。私の精密な血液検査を、こんな採血室でやるのかと、正直思った。そこにおられたのが吉田看護師さんだった。トラブル、、採血の試験管に貼るラベルの装置が故障していて30分近く待たされた。その装置は新しい装置だと言っておられたが、私には古く見えた。例えばNTT病院では、こんな装置は使っていないと思ったのだ。新しい病棟になって、今もその装置はあるが、不信感は拭えないな、、

5.ともあれ、吉田看護師さんとは、これが最後だなと思い、握手した。ホントは感謝の気持ちでハグしたいところだったが、、

6.エコーのとき、是永先生に「ミルク紅茶を飲むと、膵臓の画像が鮮明になると、NHKテレビでやっていたので、今から飲んでいいですか」とたずねたら「田中幸子先生の研究ですね」と言われ了解していただけた。その画像を見たが、どれほど鮮明になったのかは、素人にはわからなかった。けれど、次回もミルク紅茶を飲むつもりだ。

「ミルク紅茶 膵臓エコー」で、検索すると、大阪府立成人病センター検診部 田中幸子部長の説明として、こうあった。
膵臓は超音波検査では観察し難いとされている。また、通常の10分程度の腹部超音波検査では、肝臓、胆嚢、総胆管、膵臓、脾臓、腎臓など多くの臓器の病変を検査するため、たとえ膵臓の一部が見えなくとも検査が終了となる場合もある。そのため、開発したプロトコールでは、検査技師は一定の時間をかけて膵臓のみの検査をすることとなっている。また、膵臓を膵頭部、体部、体尾部、尾部の4つの部位に分けて精査し、あらかじめ撮る画像も決めている。そのため、撮りこぼしのリスクがないという。超音波検査の際はデンタルチェアのような椅子に深く腰掛けさせる。そのことにより、肝臓が下がり、また腹部の筋肉が弛緩され、膵臓の観察もしやすくなるという。また、特に超音波で検査が難しい胃の裏側にある膵尾部については、検査中、検診受診者にミルクティーを飲んでもらい、胃内のガスによる干渉をなくして描出するなどの工夫も行っている。 

7.12時すぎ、村田先生の診察で、骨密度は同年齢の平均値より上に位置してると知らされた。定点観測、これから毎年1回はやっていこう。あとはなんの問題もない検査結果だった。

8.大切なこと、再び、新たなC型ウィルスが身体に入ると、たちまち肝臓に寄宿し肝炎化することが、チンパンジーの実験によって確認されていると、村田先生は言われた。

昔、飯野四郎先生の講演で「C型肝炎ウィルスは比較的感染しやすいウィルスであり、すぐに排除できる人と肝臓に棲息しやすい人に分かれる」という話をされていた。だとしたら、SVRになった私たちは、再び侵入されないように、これからは感染症全般にわたって十分、注意しなければならないだろう。私見では、歯と口腔ケアは大事ではないか、と思っている。

9.ともあれ、SVRは確実.だな、と感じた。すると村田先生は「C型肝炎治療の研究は終焉した、これから、わたしはB型肝炎にフォーカスする」という話をされた。3月末で国府台病院を辞めて、次の道に転身されることを知らされた。4月から那須にある総合病院に、毎日東京から新幹線で通われることになる。「C型肝炎とともに去りぬか、、」という言葉が浮かんだ。

うがった見方だが、溝上先生の後任はK先生になったわけで、村田先生はその後塵をはいすることになったのでは、、心を揺らす複雑な思いがあったのではないか、、つぶやくように「いつまでもペイペイのままでは、、」と言われた。心にささった。大小を問わず、組織にいれば、思い浮かぶ言葉だからだ。

この病院は優秀な肝臓病専門医が集まっているメッカなのだから、ポストにつくのは大変なものがあるのではないか、、だが、こうした先生がたが参集していたからこそ、現実に、わたしたちはC型肝炎を克服できたのだ、とつくづく思う。

次回6月6日の診察は、お若い青木先生にしていただく予定だ。レスポンスの速い先生で、2015年10月、わたしのハーボニー助成の診断書を書いてくださった医師だった。もしかすると、溝上先生の秘蔵っ子といったポジショニングなのかもしれない。、

診察室を出る際、去年SVR達成したときに継ぎ、今ひとたび、村田先生に力強く握手していただいた。一期一会の余韻を感じながら、、

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2017年04月23日(Sun) 23:35












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