わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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25年の節目、雑感

1.先週火曜日、新宿歌舞伎町の「車屋」でランチを食べた。前の会社の同僚、川瀬氏と15時すぎまで、そこで話した。しゃべり足らず、新宿プリンスホテルのB1で、16時半まで話した。

歌舞伎町のコマ劇場の北側に「車屋」はあるが、お客は年配層の男女で、席はほぼ満席になっていて、いささか驚いた。料理は少量ずつ様々に出てきて、楽しませてくれる。人気がある理由がなんとなくわかる。

「車屋」のロビーで何度か話したことがあるミナト氏は、「車屋」の常務になっていて、新宿にはいなかった。なぜか、ミナトという名前をオボロゲに記憶していて、たずねたのだ。やぁ、立派になったんだなと感慨深いものがあった。

2.わたしの場合、1991年8月21日の夕方、かかりつけ医に電話し、C型肝炎とわかった。「倦怠感の原因がわかって良かったじゃないか」と医者に言われたが、、なんでオレが不治の病いに、、と奈落の底をみた感じがした。
その夜は、川瀬氏と「車屋」で宴する約束をしていて、、しかも私のおごりだった。返礼だったと思う。二人とも、気分は暗かった。それから25年がたち、C型肝炎ウィルスは消えた。川瀬氏はとうに忘れていたが、今日のランチは、私には大団円の宴だった。

3.川瀬氏は父親の遺産相続で、兄弟間の確執が尋常でなく、郷里に対する愛着は稀薄になってしまったようだ。母親の言動が「恩きさがましい」と言っていたことが、心にささった。母親はかなり前から徐々に認知症になっていたらしいが、様々な文書を大事に保存していて、それが兄の目にとまり、確執が始まったのだろう、、と想像した。

4.訃報を聞いた。同年代で、私たちがいた会社を1992年、早々に退職して、霞ヶ関ビルの中に会社を立ち上げた渡辺一三(私の記憶の中の名で実名かどうか不明)さんが、癌で亡くなっていたのだ。が、会社は存続した。後任の社長は知らない。渡辺さんの四半世紀は、満足した人生だったろうか?ペコペコと、よく頭をさげる光景が浮かんできた。そのストレスが癌を呼び寄せたのではないか、、

5.分かってはいたが、、C型肝炎治癒の大団円を喝采してくれる他者は、、いないのだと感じた。同じ患いをしたものでないと、共感をもとめても仕方がない。

だが、、それでいいのだ。

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