わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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法華経の現代語訳について

以下は、2008年12月30日に書いた記事です。

・・・・・・・・・



大晦日を明日にひかえ、
今年、文学系学術書の中で一番とおもうのが、
岩波書店から出た上下二巻「法華経」の現代語訳です。

1950年生まれの植木雅俊という
在野の仏教研究家が翻訳されています。

東方学院の創立者、中村元先生のお弟子さんにあたる。

通覧しただけで、学識の深さ、精緻さを感じ取ることができます。

何故か第1章:序(品)の最初の5行程度、音読していて自然と
涙がでてまいりました。こう書いてありました…

広大なる経の王であり、
最高の真理へ導き入れる教説であり、
大いなる道である
「白蓮華のように最も勝れた正しい教え(妙法蓮華)」を
私は衆生に語ろう。


たしか司馬遼太郎氏は「自分は法華経に対して音痴であり、
そもそも法華経は実在した釈迦自らが説いたものではい」という、
法華経に対して、かなり否定的な見解をもたれた歴史小説家でした。

けれども私は、釈迦の生涯最後の8年間は、
これを説かれたに違いないと考えます。
なぜなら、これを説かないと釈迦の教え全体の設計図というか
フレームワークが完成しないからです。
(あぁ、なんて大胆な発言でしょう!)

ちなみに、法華経によってはじめて
女性の成仏を「変成男子」という論理によって
成仏できるとした教説であったことから
平安時代、多くの女性の心をとらえました。

(全くひどい話で、法華経以前の経典では
女性は成仏できないのが当たり前という
内容の経典でした)

1000年前、紫式部の「源氏物語」は
法華経がバックボーンにある、
といわれております。

さて、現代語訳の中を少しかいつまむと、、、

第15章:如来の寿命の長さ(如来寿量品十六)
の最後のところ(自我偈)で、

「勝利者であるブッダたちは極めて会い難い」

「私は、常に衆生をたちのそれぞれの行いを知って、
 それぞれのやり方で衆生たちに教えを説くのだ。
 『いったい、どうやって衆生たちを覚りに到達させようか。
  どうしたら、衆生たちがブッダの性質を得る者になるであろうか』 と」


この段落を読みあげていると…
表層ではなく、深層にある自分の何かが感動して、
またまた目から涙がハラハラと流れ出て、
浅からぬ縁を感じた次第でした。


ジンメル『愛の断想・日々の断想』「日々の断想」の中で、
こんな言葉があります。

幾つかの偉大な思想だけは
本当に自分のものにしておかなければいけない。
明るくなるなどとは思いも及ばなかった遠いところまで、
それが光を投げてくれるから。


私の楽観主義は、
「本当に自分のものにしておかなければいけない」
法華経に寄り添うように侍立している、、
と吐露しておきたいと思います。

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