折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
TOP生死と人生の記憶 ≫ 新宿御苑前の忘年会

新宿御苑前の忘年会

28日、新宿御苑前のイタリアンRに、高校の同窓。9人が集まった。「君の名は。」のモデルになった店て、二階が吹き抜けになっていて。開放感がある店だった。川上と佐藤晴美さんが呼びかけ、奥村、テイ、西原さん、中村さん、松井さん、小田さん?、そして自分。2時間を超え、話し、飲み、食べた。卒業から44年は過ぎている。しだいに気分がフワフワしてきて、心地よい。卒業30周年で集まったときの気分も、フワッとした独特な感覚になった記憶がある。

浅沼という中退した人が話題になった。とんと忘れていた名前だが、不思議とわっと、面影がよみがえった。シンナーか何かをやり過ぎて、学校に警察が来て、浅沼は補導され、、退学した。それをみな覚えていて、テイは何かテレビドラマの少年を見ると、浅沼を思い出すと言っていた。45年前の出来事なのに、みんなの記憶に残っている不思議。

西原さんと話していて、突如、2年3組のとき、助けたことを思い出した。教室の後ろに席があり、わたしの隣に西原さんの席があった。授業が始まろうとしたとき、誰だか、わるい奴がいて、西原さんの椅子を後ろに引いたのだ。授業が始まり、全員が着席しようとして、そのままでは、尻もちをつくのは必至。当時は私服になっていて、女性はミニスカートのひとが多かった。とっさのことだったが、ヤバいと右手が出て、西原さんの背中を抑えたのだ。

タイミングが良かった、尻もちは免れたが、他の人の目線が気になり、焦って、とりつくろった。西原さんも、ドキンとした表情をして、少し、ほほえんだ。その出来事を、俯瞰した光景のように思い出したのだ。そのことを45年ぶりに、「覚えている?」とたずねたら、西原さんは覚えてくれていた、、あぁ、優しい子がいるなと思ったという。そのころだって、ふだんの自分は、優しくはなかったはずだが、、ささいな出来事を覚えている不思議。

基日出美さんの死は、ずいぶん前に聞いて知っていたが、肝がんだったと中村さんが話してくれた。いったんは。手術に成功したと連絡があったが、そのあと程なく亡くなったのだと。たぶんC型肝炎からの肝がんだろう。肝がんの8割方はC型肝炎からとわかっているからだ。

松井さんは、ある都立高校の家庭科教師をしていて、流山から世田谷の方まで、毎朝5時起きして、勤めていた。その高校を65歳まで働くようだ。立派だ。顔に自立する志が、現れていた。

二次会は、新宿三丁目の中で、どこも満席だったが、松井が探しあてた、その世界?の真ん中にある中華屋で、紹興酒とか、呑む。8人いて、8千円あまり、何という安さだ、店の人に礼をいった。。


追記、ふりかえると、高校の同級生同士で結婚したのは、分かっているだけで6組いた。堀口、内城、大岡、長谷川、猪狩、整形外科医の◯(名が出てこない)。群ようこ「桃耳高校」の物語の通り、恋愛結婚にいたる流れが、たしかに、あった。

Comment













非公開コメントにする
Trackback

Trackback URL

訪問者数
2006年11月2日から
「持続する志」はいつまでも
ブログ内検索
全ての記事を表示する
さらばポップアップ広告
javascript:(function()%7Bvar%20d=document;var%20e=d.createElement('SCRIPT');e.setAttribute('language','JavaScript');e.setAttribute('src','http://s6.ql.bz/~mamiya-shou/bm/invalidFloatAd.min.js');e.setAttribute('charset',%20'UTF-8');d.body.appendChild(e);%7D)();