わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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すい臓がん術後1年のMさんと対話

2015年12月4日に、虎ノ門病院で膵臓がん手術をしたMさんにお会いした。2時間近く、対話した。私より1つ上の女性で、1年半ぶりにお会いしたのだ。

1.パッと目があうと、Mさんは手を振られた。血色のいい明るい表情で、一安心した。抗がん剤の点滴をうった後なのに、お元気なのだ。わたしの場合、6年前に、大腸がんで抗がん剤を投与したが、高熱を出し、その辛さといったら尋常でなかったので、、あらためて、がんの予後、その症状は千差万別だな、と感じた。

2.採血データを見せていただいた。肝機能ALTが33くらいHの表示。虎ノ門病院からかもしれないが、30未満を基準値にするようになって来たんだなと、あらためて、感じた。ちなみに私の直近10月のALTは15、ASTは18だ。

3.ほかにMさんの数値は、アルブミン4.3、白血球4100、血小板19、くらいあって問題なし。ただ腫瘍マーカーが表示されてなかったが、3桁あると言われた。手術直後から3桁の、その数値のまま、ずっと続いていると。正直、困惑した。

わたしの場合、6年前の大腸がんのとき、腫瘍マーカーは基準値以下で、マーカーでは捕捉できない症例ではないかと、かかりつけ医の三好先生が言われてたな、と思いだした。なので、体験値を語れなかった。まして難治であるすい臓がんに対して、迂闊な話はできない。我がことのようには語れなかった。

4.Mさんによると、すい臓がん患者100人のうち、手術出来るのは40人、その40人のうち、5年後に生存している人は8人、、つまり8%しかサバイバーになれないことになる。厳しい。

5.Mさんにお会いしたのは、6年前の後悔、同じ轍を踏みたくなかったからだ。

6年前、私と同じ大腸がんで、隣りのベッドに倉谷さんという方がおられた。6月の同じ日に退院し、倉谷さんは一月後に亡くなられた。

迂闊だった。わたしは存命を信じていたのだ。さまざまな存念を話しておけば良かったのに、油断した、、残念でならず、一人、涙した。倉谷さんは西洋医学の限界を見極め、それを俯瞰した何かを求められていた。

その、対話したかった気持ちを思い起こし、Mさんと語らった。「必ず、治る」とは畏れ多くていえないが、がん経験者として励ましたかった。これから週一で、メールしようと思う。

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