わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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秋田に現れた火球から想像すること

1.秋田魁新聞の記事によると、

2016年10月31日午前5時43分(秋田市柳田で佐藤亮真撮影)が確認された。秋田市の上空に現れた「火球」は、青や緑の光放つ強い光を放ちながら流れる火球が目撃された。国立天文台の縣(あがた)秀彦准教授(55)によると、流れ星より大きく明るい「火球」だという。

午前5時43分、東の空に光の固まりが見え始め、だんだん近づきながら横切り15秒ほどで西の空に消えた。途中、砕け散るかのように複数に分離、それぞれ青や緑の光を放つのが見えた。


2.映画「君の名は。」は、大きな火球が落下し、小さな山あいの町を壊滅させてしまいことが、下敷きにある。

3.日蓮が1272年に鎌倉の竜の口で、斬首されそうになったとき、江ノ島の左手の海上に、光もの、火球があらわれ、武士たちは畏怖して、日蓮の首を切なくなってしまった。その火球は、上空を何秒間、通過したのだろうか、という素朴な疑問が、前から私にはあった。「君の名は。」のような落下はしていない。また1266年までの編年体歴史書「吾妻鏡」には、その火球の事績はない。1180年から1272年までの出来事だから、なくて当然なのだ。

4.秋田の、15秒では短い気がする。竜の口は30秒くらいないと、勇猛な鎌倉武士をひるませ、畏縮させられなかったのではないか。日蓮の遺文「種々御振舞御書」では、光もの、火球が1分間くらい、とどまっていたかのように、読めてしまう。あと、日蓮は、あらかじめ火球が現れることをわかっていたかのような文章なのだ。竜の口から、四聖人を凌駕する驚異的な、日蓮の変容が始まる。翌朝、日蓮は越智の本間邸に連行され、そこに1ヶ月留め置かれるが、その間に、もう一度、光ものが現れるのだ、、竜の口の光ものは有名だが、本間邸の光ものの話は知られていない。なので、同御書をそのまま載せておきたい。

P915-5
其の夜は13日・兵士(つわもの)ども数十人・坊の辺り並びに大庭に並居て候いき、9月13日の夜なれば月・大に・はれてありしに夜中に大庭に立ち出て月に向ひ奉りて・自我偈少々よみ奉り諸宗の勝劣・法華経の文あらあら申してありしに

私見、、処刑から免れ、本間邸に据えおかれた日蓮は、たちまち連行してきた武士たちに説法教化をされたわけで、、これは驚き以外何ものではない。僭越だが、竜の口から日蓮はゾーンに入ったというか、確信、声のテンションが変わっていったのではないか?元々、明るく響く声をしていて、聴衆をひきつけずにおかなかっただろうが、自分を殺そうとした武士に対しても、威風堂々とした立ち居振る舞いだった、なんだこの人は?武士たちも魅入っていた、と想像する。さて、このあとが、面白い。




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