わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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小室直樹「宗教原論」と凝然大徳「八宗綱要」

1.民進党の代表、蓮舫さんについて、、
なんだかイメージが、毛沢東の江青夫人と重なってしまう。舌鋒鋭く糾弾する声が、日本語でなく北京語なら、江青に似ていると。また、かなりファザコンだろうか?国籍離脱の手続を父親に任せていたとするのは、どうにも野党の第一党代表の答弁としてはいかがなものか、そのうちに野田幹事長のせいにする場面も、あるかもしれない。境界型人間のサガ。それと、今更だが、国際人?の矜恃で、アイデンティティとして二重国籍を強弁した方がジレンマに陥らなかったのではないか?台湾総統選挙の投票に行かれていたようだ。さて、どう抗弁するのか、迷走は続く。

2.先日、宮田家を訪れ、書棚から以下の3冊をお借りした。無論、ご家族の了解はとった。1月に亡くなった宮田さんがマーカーしたところや書き込みしたところを見て、参考にしたい。
①小室直樹「日本人のための宗教原論」(徳間書店 2000/6)
②「小室直樹の資本主義原論」(東洋経済 1997/7)
③西田幾多郎「善の研究」(岩波文庫)

3.「宗教原論」は緻密さはないが、青龍刀を振り回す感じで、面白い。小室直樹さんは、少し井筒俊彦と似ていて、天才肌の洞察力をもった、無冠、孤高の人だ。

4.その中で、日本仏教の解説書は700年前の僧、華厳宗の凝然大徳「八宗綱要」が一番と教えているのだ。全く知らない人で、驚いた。早速、凝然大徳「八宗綱要」(講談社学術文庫)を図書館から借りることに。

検索すると、、
凝然大徳(1240〜1321)は伊予国(いまの愛媛県)の出身で、示観房と号す。

1255年(建長7年)に比叡山で菩薩戒を受け、東大寺戒壇院の円照に師事して通受戒を受けたほか、華厳を宗性に、律を唐招提寺の証玄に、密教と天台教を聖守に、真言教を木幡観音院の真空に、浄土教学を長西に学ぶなど博学であった。

とりわけ華厳教学に通じており各所で講義を行っている。円照のあとを受けて東大寺戒壇院に住し、法隆寺や唐招提寺など南都寺院を管轄した。『八宗綱要』は日本仏教史研究に不可欠の文献である。

八宗とは①倶舎宗、②成実宗、③律宗、④法相宗、⑤三論宗、⑥天台宗、⑦華厳宗、⑧真言宗である。いわゆる南都六宗に平安二宗を加えたもの。日蓮宗はもとより禅と浄土は出てこない。


5.日蓮は1222年の生まれ、凝然大徳は1240年生まれだから、18歳の差。同時代人だが、会ってはいないだろう。凝然大徳を、日蓮の弟子であり日蓮に深い質問を投げかけた最蓮房と重ねて見てしまう。この時期、優秀な学僧が少なからず、日本にはいたわけだ。

ちなみに最蓮房は、京都生まれの天台宗の学僧といわれるが,くわしいことは不明。なんらかの罪で佐渡(新潟県)に配流される。文永9年(1272)流されてきた日蓮に帰依。建治(けんじ)元年、1275年ごろ京都にもどったという。日蓮が佐渡から戻ったあとも、最蓮房は佐渡にいたことになる。極寒の佐渡で、最蓮房は病んでいたのではないか?日蓮から「生死一大事血脈(けちみゃく)鈔」「立正観抄」など13編ほどの文書をかきあたえられている。法名は日浄,日栄。

6.それと、日蓮の御書の中には、おそらくたえず手元においておかれたろう綱領や仏教の体系図が多くある。比叡山で学ばれたときの「まとめノート」と私は思っているが、それと「八宗綱要」とを比べ読みしたくなる。さて、どちらが深いか、、

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