わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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9200日と田中美知太郎

1.C型肝炎とわかった1991年8月21日より今日が9200日目の日だ。これから10000日まで100日ごとを目じるしにして、記事にしよう。自分なりの節度をたもちながら、包み隠さずに書こうと思う。その節度とは、わたしは、あるところの帰属意識はあるが、ステレオタイプではなく、トンデモ系の人間なので、ご迷惑になってもならないので、という節度だ。

2.さて、昨日、何気に、ギリシア哲学の田中美知太郎の「時代と私」を再読した。40年ぶりかもしれない。文章を読んでいて、やはり自分はこの人の文章が好きだし、気分が落ち着く。もう知る人は少ないだろうかわ、月刊誌の文藝春秋の巻頭言は、長いこと田中さんか書かれていた。

3.評論家の西部邁さんが、たいそうリスペクトされておられるが、その年代の方々が物故されたら、田中美知太郎さんを知る人は少なくなるだろう。田中さんは保守主義者になっているが、ご自身は主義など、問題にされなかったと思う。

4.わたしは、晩年の田中さんの講義を、一回だけ、聴いたことがある。神宮の日本青年館だった。「哲学と技術」についての話だったが、ノートはとったのだが、内容は覚えていない。秋だったと思う。なるべく近づいて見たいとおもったが、席は窓側を選んだ。たしか母も連れてきていたと思う。

5.田中先生は155cmくらいの身長だった。お顔は戦災による火傷でダメージがあったが、目を背くなるようなことはなかった。むしろ、ぎゃくで、全身哲学者というオーラが出ていて、なんとも美しい老人だな、感じ入っていた。わたしの勝手な潜在的な心理傾斜かもしれないが、

6.田中先生は、淡々と平板な、ゆっくりと話された。声は大きくはない。窓の外はパラパラと、イチョウの葉が落ちている。あぁ、悠久な時間の流れを感じていた。辻邦生の「背教者ユリアヌス」の新プラトン主義の学塾の光景が重なってきて、幸せなひとときだった。

7.追記、西部邁さんはエッセイ「清浄な魂」で、田中美知太郎さんのことを、こう書いている。

実際、お会いしたひとならば誰しも認めるところであろうが、田中先生が示される快活はすぐ背後に静寂があるためにいっそう際立つのであり、その諧謔(かいぎゃく)も含羞(がんしゅう)ゆえに彩りゆたかになり、さらにその論理の整合性も感情の自在性に裏打ちされているためにかえって引き立つのである。

難しい言い回しだが、、「静寂」の文字に、その通りだった、と思い当たったのだ。うまく言えないが、張りつめた空気、田中先生の声から、静かな磁気を感じていた。静かな声で、聴衆を引きつけるのだ。

田中先生は最後の著作の中で、たしか「空気中に光りが満ち溢れている」というような言葉を残された。
たぶん、生涯の中で何度か、プロティヌスが謂う「一なるもの」との合一を体験しておられたのではないか、、そういう気がする。ホンモノの哲学者は、体験話しは、まずしないし、書いてもボカしたコトバになる。

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