折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
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能「熊坂」を読む

1.午後2時、杉並区の「ゆうゆう善福寺」で、能「熊坂を読む」に参加した。
講師は、シテ方金春流能楽師 辻井八郎(重要無形文化財保持者(総合指定))という方で50歳にはなっていない感じの、お若い方だった。30名ほどの受講者は、辻井八郎先生の声に合わせて「熊坂」を音読した。わたしは読み方にルビをふった。こんな機会は最初で最後だろう。辻井先生の声が倍音になっていて、「声仏事をなす」のコトバが思い浮かんだ。先生は逐次説明してくださった。

2.ただ「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」の六波羅蜜経がベースにある、次の地謠のくだりについては仏教の影響程度の話で、辻井先生は端折られていた。

だが断言しよう、、熊坂は、この地謠のくだりが深淵というほかない。
よくぞ、数百年前に、このような能が行われていたのかと新鮮に、驚いた。というか、こちらが知らなかっただけの迂闊が浮かび上がっただけだろうが、、名画の前に立つ素朴な人間と変わらない。

シテ
達多が五逆にすぐれ。方便の殺生は。
菩薩の六度にまされりとか。
これを見かれを聞き。
他を是非しらぬ身のゆくえ。

迷うも悟るも心ぞや。

されば
心の師とはなれ。
心を師とせざれ

と古き言葉に 知られたり。
かようの物語。

申さば夜も 明けなまし。
お休みあれやお僧達。

我もまどろまん さらばと。
眠蔵に入るよと 見えつるが。

形ちもうせて庵室も。
草むらとらなりて松蔭に。
夜を明かしける不思議さよ。
夜を明かしける不思議さよ。

後半は溝口健二監督の「雨月物語」を髣髴とさせた。つづいて、ワキがこういう。

ワキ
牡鹿の角の束の間の
牡鹿の角の束の間の
寝られるものか 秋風の
松の下臥し夜もすがら

声仏事をやなしぬらん
声仏事をやなしぬらん


3,私見、、「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」の意味は、検索すると、
「あなた自身が心の師匠となって、うまく心を諭し導くことがあっても、心そのものを師匠のように大切なものと思って、それに流されたり翻弄されてはいけない。 」という解釈があった。

そもそも、日蓮大聖人(備忘モードのため、ここは尊称する)は、「兄弟抄」(P1088)と「義浄房御書」(P892)の中で、「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」という言葉をそのまま取り上げておられる。大聖人のご内証と合致するコトバだから引用されているのだ、と理解する。

当初、なんで心と心の師と、同じ心なのに、二つの心があるのか?何を言っているのか、さっぱり、わからなかった。

たが、あるとき、わが母校の創立者が、こう言われたことから、徐々に氷解し始めた。
「心の師とは御本尊である。また、常に御本尊に心を向けていこうとする自己自身も、心の師である。惰弱な心に流されるのではなく、常に心の正しい方向に向かわしめる主体者でなくてはならない。決して自己の惰弱な心、弱い心、卑怯な心を師として、それを中心とした行動であってはならない」と。

その上で、わたしの理解は「成仏とは、死んで極楽浄土にいくことでも、神がかった悟りなどでもなく、本地に心の師が常にある状態をさすのではないか」と、質朴に思っている。

4.戻る、、「熊坂」の主題は何か?
それは「迷うも悟るも心ぞや」ではないか、と思う。
終盤の長太刀を持ったシテの舞は、迷いから悟りへの心を表現しているのではないか?
その主題は、は日蓮大聖人の「一生成仏抄」(人は浄土ではなく、この一生のうちに成仏する)と通底するものがあるが、引用は長くなるので、またいつか、、

5.「熊坂」の読みが終わったあと、辻井先生は3つの能面を持ち出され、30名ほどの受講者に対し、能面を体験する時間を作ってくださった。みなさん関心があるようで、それぞれ能面を顔にあて、立ち上がり、姿見の前に立って、堪能していた。私も、1回だけ、「増(ぞう)」という大人の女性の面をかぶって見た。

6.驚いたのは、視野が狭いことだ。直径10cmくらいの円から外を見るようなもので、手足は見えない。ということは、能舞台の上の柱とかの距離感が大事になってきて、想像力を働かせるしかなく、内省、集中が促される。
世阿弥の「離見の見」は奥義は、そうした視野狭窄の中で、唱えられたものなんだな、と感じた。世阿弥は舞台全体を見る眼を体験していたから、そのコトバを残したのだろう。辻井先生に質問すると、そういう境地に入りたいものだと微笑まれていた。

追記、30日の午後6時30分、井草八幡宮の薪能て.「熊坂」を見た。寒かった。気づきは、舞を終えた熊坂長範が、旅の僧に合掌するところがあったこと。合掌は両手の甲の人差し指あたりをくっ付ける、、それが合掌なのだと。供養の礼なのだろう。。ともあれ次回は、能は能楽堂で見たいものだ。

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