わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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井草八幡で、第1回 遅野井薪能

1.能を見た感動は続いている。古典の力か、時間がたつにつれ、通奏低音のように深く響いてくる。国費をかけて、能を守ろうとしているこの国の意志は、わかる気がする。能は日本文化の結晶に違いない。

2.今月30日、「熊坂」を、西荻窪の井草八幡宮の神楽殿で、薪能として行われることを知った。昨日の国立能楽堂で、そのチラシを手にしたのだ。最初は再び行こうとは思わなかったが、今は、行きたくなっている。

3.井草八幡宮は、大学のときの民法ゼミ、宮崎俊行先生の本家だ。なので井草八幡宮に行って、本殿や郷土資料館みたいな建物にも入ったことがある。帰りには、西荻窪駅前のこけし屋でご馳走していただいたな。宮崎先生は88歳になられているはず、ご存命だろうか、、

そういえば、高校の同窓生、大岡夫婦の結婚式は、たしか、井草八幡宮だったな、、

さらに、105歳になられている?と思う安藤久蔵さんのコーヒー豆を売る店は、井草八幡宮の近くだったな、、

4.井草八幡宮は、今、パワースポットになっているらしい。たしかに木々が鬱蒼としていて、いい気が流れているのかもしれない。そこは、昔は遅野井という地名だったようだ。遅野井の名は、源頼朝による奥州藤原氏征伐のときの出来事に由来するらしい。熊坂は義経の話がベースにあるわけだから、因縁浅からず、でいいかもしれない。。たぶん予約する。全席自由で3000円なら、ヨシとしよう。今度は前の方で、見たいものだ。

追記、宮崎俊行先生は、検索すると、2004年3月に、追悼号なる論文集が出ていることから、その前年あたりに鬼籍にはいられたのかもしれない。享年は75歳くらいか、、1970年代に玄米食をとられていたような、かすかな記憶があるが、、まったく、師恩に報いていないな、、俺は。大学の創立者と生年が同じ昭和3年、西暦1928年1月10日のお生まれだったと思う。創立者と同じように、ご存命と決め込んでいた、ということは、ご専門の農業法学者として、TPPのクビキも東日本大震災も、ご存知ないまま逝かれたのか、、

なんだか、ショックだ。風邪をひいたようだ、ノドが痛い。

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