折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
TOP読書と映画のこと ≫ 能を観る

能を観る

1.今日、これから国立能楽堂に行く。61歳の人生で、初めてだ。小林秀雄は、太平洋戦争の日米が開戦した1941年12月8日に、一人で能楽堂に行った、、そうでもしなければ、いたたまれなかったのかもしれない。まだわからないが、幽玄を堪能したい。

2.能楽堂から帰ってきた。いやぁぁ、じわじわと感動するものがある。狂言は野村万作、練馬区の人だ。かつて狂言は北町中学校の体育館で見た記憶がある。太郎冠者、次郎冠者が出てきていた。そのとき演者は、たぶん野村家の人たちだろう。

3.新鮮な驚きは、能の「熊坂」(喜多流)という演目だった。作者は不明。観阿弥、世阿弥しか知らないが、どちらでもない。誰だか知りたくなる。これは、義経に切られて、63歳で死んだ盗賊、熊坂長範の怨霊の話だった。調べると、あらすじは

都の僧が東国への旅を志し、都を出て美濃国(岐阜県)赤坂まで来たとき、一人の僧に呼びとめられます。そして、今日が命日の者のために回向をしてくれと、草原の中の古墳に伴われ、その僧の庵室に案内されます。みると、その庵には仏の絵像も木像もなく、大長刀や武具が並べられているので、不審に思って尋ねます。すると、この辺りは山賊夜盗が出るので、通行人の危難を救うための用意で、この土地では頼りにされていると答えます。そして、「お休みあれ」と何処ともなく去って行きます。

4.能楽堂は、抑制のきいた倍音の世界だった。歌舞伎の音ではない。観客の年齢層は高いが、演者の声や、笛、太鼓、鼓の音を堪能しているのだ。

5.さらに驚いたのは、座席の前に、iPadサイズの液晶画面があり、地謡8人の歌詞?が表示されるのだが、
「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」
「声仏事をなす」とうたうのだ。わたしの鍵コトバが突然現れたので、画面に近づき、、いや参った、ビックリした。正確にはこうだ、、あとで転載

6.次に、いつか観たいのは、世阿弥の「鵜飼」だ。

Comment













非公開コメントにする
Trackback

Trackback URL

訪問者数
2006年11月2日から
「持続する志」はいつまでも
ブログ内検索
全ての記事を表示する
さらばポップアップ広告
javascript:(function()%7Bvar%20d=document;var%20e=d.createElement('SCRIPT');e.setAttribute('language','JavaScript');e.setAttribute('src','http://s6.ql.bz/~mamiya-shou/bm/invalidFloatAd.min.js');e.setAttribute('charset',%20'UTF-8');d.body.appendChild(e);%7D)();