わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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変化のとき

1.日曜は長女の小学校の運動会だった。長女は応援団の一員になって青のハチマキをつけ、声を出していた。

2.夏休みが終わってから、小学5年の長女は、少女雑誌をさかんにながめ、顔にソバカスがあることを気にしだしている。

3.武田鉄矢さんの「風の又三郎」の読み解きで、小学5年と6年との違いに触れ、性の目覚めが背後にあると指摘していた。たしかに、変化はその頃だったかもしれない。

4.午後2時すぎ、叔父の相続のことで、いとこの病院へ。わたしの姉に対する贈与の件で、、懸案はまとまる。わが母にも贈与したいと言われたが、その分も姉へということで落ち着く。わたしの請求額も了解された、感謝。いとこは人間として立派だな、、姉の場合、「贈与契約書」より受贈の意思の確認書の方が、妥当と気づいた。その金額などを要求する気はない姉だったからだ。

5.それはおいといて、、叔父の肝不全について確認した。
①東大病院の担当医は、データを見るだけだったが、いとこの病院の、大先輩にあたる医師は叔父の肝臓あたりを触診してくれていたので、叔父は信頼できると思ったようだ。その気持ちは、よくわかる。
①-2.初期のインターフェロンはやったが、無効。2003年頃にペグリバをやったが4週目くらいで中止。やってもきかなかっただろう。わたしもそう思った。
②最期はアルブミンは2.0以下だった。典型的な肝不全と。
③肝硬変になると、肉類など食べてもタンパク質など分解できなくなる。その分、錠剤を与えても、まずいと言って廃棄してしまっていた。やがて骨粗鬆症にもなる。叔父は骨折もしていた。
④小さな肝がんも見つかっていた。カテーテル系の、名前はメモできず、治療で消えたが、肝硬変は回復できなかった。

6.内部に働きかける断想01として、、「もう、ねらいを定めたら、前提条件の志向やめて、直線的に動こう。恥ずかしさのハレーションは神棚に上げよう。直結とは、迂回系をうっちゃることだ!」

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