折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
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アッピア街道

1.昨夜は小学5年の長女を連れて、池袋の東京芸術劇場で、レスピーギ作曲「交響詩ローマの松」を聴いた。その曲の生演奏は初めてだったが、この曲は生だと、こうも違うのかと、、感動した。最後のアッピア街道は、パイプオルガンが超低音をかなで、ホール最上階の右から、それぞれ3本のトランペットがファンファーレを響かせる。ローマに凱旋する帝国の軍隊を連想したが、、

1-2.レスピーギは1926年1月15日に、みずからフィラデルフィア管弦楽団を指揮してこの曲を演奏するにあたり、プログラムに次のように記している。
『ローマの松』では、私は、記憶と幻想を呼び起こすために出発点として自然を用いた。極めて特徴をおびてローマの風景を支配している何世紀にもわたる樹木は、ローマの生活での主要な事件の証人となっている。

2.わたしの場合は、この曲の前半は黒澤の映画を想い起こしたが、最後のアッピア街道はミレニアムの2000年の秋、ローマで実際に観たアッピア街道の遠景を思い出した。

3.松の木が、均等に並んで見えた。日本の松と違い、すっと屹立していて、枝葉は木の上にしかないので、これが松なの?と思いつつ「来たぞ、アッピア街道!」と叫んだものだ。街道に足を踏み入れ、2000年の時空を感じた。黒い石が敷き詰められていた。古代キリスト教徒が眠るカタコンベは閉まっていて入れなかった。また、帝国時代の水飲み場のところで老人に話しかけられたが、イタリア語が分からず、微笑むばかりだったな、、

4.街道を歩きながら、ローマに戻る。小説「クオ・ヴァディス」で知ったドミネ・クオ・ヴァディス教会をめざしたのだ。ペトロがローマから逃走し、アッピア街道を下っていたとき、彼方からイエスが現れ、ならばわたしが行き、ふたたび十字架にかかろうとペテロに告げたという。ペトロは慚愧の念にたえなくなる。うろ覚えで正確ではない旨、赦されたい。

そうか、、レスピーギはローマ軍をイメージしたのではなく、復活したイエスとともに、ローマに引き返すペトロの様相を想いおこして、曲にしたのではないか、、パイプオルガンの音は地を揺り動かすペトロの回帰を暗示しているのかもしれない。

追記、どうやら、パイプオルガンはオリジナルの編成にはないようだ、だが断然加わった方がいい。長女は感動しなかった様子だたが、わたしはなんか大事なものを得た気がする次第。

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