わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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ベルグソン「時間と自由」

ベルグソン「時間と自由」(岩波文庫、中村文郎訳)の、P20にこうある。

ひとたび深い情念に取り憑かれると、同じ対象がもはや同じ印象を生まなくなる。

すべての感覚、すべての観念が新鮮さを帯びて現れる。まるで子どもにかえったかのようだ。このようにして諸君は自分の情念の新しさに気づくのではないか。

私たちもこれに類したことをある種夢のなかで体験する。

そこで大したことが起こっているわけではないが、それでもかつて聞いたことのない音が夢を通じて聞こえてくるのだ。このため、意識の深いところへ降りていけばいくほど、心的諸事実を事物の並列として扱うわけにいかないのである。

或る対象が心の大きな部分を占めているとか、否、全部を占めているとか言われるが、

そういう言い方で理解しておかなくてはならないのは、そのイメージが無数の知覚や思い出のニュアンスを変形してしまったということ、その意味ではそのイメージはそれとは認められないが、知覚や思い出のなかに浸透してしまっているのだ、というだけである。


1.夢のなかで、音楽が流れることは、わたしの場合も、たまにある。目覚めたあとに、メロディを思い出そうするが、、思い出せない。でも、世の中に、無い感じがしたし、美しい曲だった。となると、自分が作曲したのか?と、不思議な気分になる、、上記のベルグソンの文章から、このことを思い出した。

2.直腸がん手術直後の、2010年5月27日の1時ころ、熱と痛みのせいか、幽体離脱こそしなかったが、一種の変性状態にあった。閉塞感があったし、いつもの自分ではなかった。自分の身体を、もう一段下から見ているというか、感じている自分がいた。幸せな気分ではなく、むしろ寒々しかった。これが俺の基底の感覚なのか、、と思ったのだ。と同時に、この知覚から、始めないといけない、、と。

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