わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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岩波文庫の一束

1.朝、次女を保育園まで送るとき、自転車ではなく、ベビーカーを使っている。15分かかるが、途中、通る家の窓越しに外を見つめる猫が二匹いて、いつも次女は手を振りながら通過する。ある日、その家の人にたずね、猫の名はココモ、ココと知った。

2.次女を保育園にあずけ、空のベビーカーを押しながら帰る途中、岩波文庫が一束捨てられてあった。今日、このあたりはダンボールや紙類のゴミ回収日だった。岩波文庫は古ぼけていたが、表紙をみると、ベルグソンやヘーゲルやキルケゴールなど思想哲学系の文庫だったので、ベビーカーの中に入れた。廃棄されるなら、持ちかえって、サクッと眺めるように見ててからでも、いいじゃんと思った次第。アメミヤという印字があり、鉛筆で線が引かれている文庫もあった。人の読書の航跡を観るのは嫌いではない。

3.その中にあったキルケゴール「死に至る病」を眺めていると、2014年に大腸がんでなくなられたであろう札幌の男性の方を思い出した。お会いしてはいない。ブログで一二度コメントでやりとりしただけだった。ブログは毎回短い文章だったが、北海道の草原の風のような余韻を行間から感じさせる文章だった。

最期までキルケゴール「死に至る病」を枕元において読まれていたようだ。読書の選択に覚悟を感じた。わたしも直腸がん術後の闘病中だったので、他人事ではなく、わが身におきかえてブログを読んでいた。(腹膜播種による腸閉塞がおきていて、さぞかし痛かっただろうに、、)と。

4.キルケゴールは言った、、
「死に至る病とは絶望のことである」と。
井上ひさしの最後の戯曲「組曲虐殺」のコトバに、

「絶望するには、いい人が多すぎる。

希望を持つには、悪いやつが多すぎる。

なにか綱のようなものを担いで、

絶望から希望へ橋渡しをする人が

いないものだろうか。

いや、いないことはない。」

「命あらばまた他日。元気で行こう。

絶望するな。」

(高校の友人 山本龍二よ、2012年12月、
観る機会を与えてくれて、ありがとう)

5.しかしながら、あらためて、こう思う。

生死は、潮の満ち引きのように、
連綿と繰り返される。

あいにくだが、極楽、天国、、上がりはない。

札幌の方は、いつの日かふたたび、
キルケゴールを手にすることができるだろうと、、

そして、あるとき、
手塚治虫「火の鳥」の猿田彦のように、
天を見上げ、つぶやく。

「また、一からやるのか、、」と詠嘆する。



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