折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
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肝炎25年の風景 その1

1.今朝は月曜、次女を保育園に連れて行き、フトンカバーをセットし、一通り支度を終え、次女にサヨナラのハイタッチをしようと、チューリップ組に行き、次女に声をかけると、次女はわたしの顔を見たあと、保育士の先生たちの顔を見て、わたしに近寄ってこない、テーブルにすわって、あさのオヤツが来るのを待つような光景。あぁ、次女は少し変化した。ステップアップしたようだ。変容は突然、おとずれる。

2.C型肝炎は、ハーボニー終了後24週目にあたる7月26日をまたずとも、終息したと見切る。肝炎に意識を向けるのを切り替えよう。そうこころを傾けていると、不思議と昔の、同病の方々の顔が思い浮かんで来る。きまって明け方の時間に浮かぶ。話した方もいれば、お見かけしただけなのだが、なぜかフラッシュバッグして浮かんで来る。

3.全身倦怠感で入院した御茶ノ水の順天堂病院のときの人たち、東大病院のときの人びと、南町医院のときの面々(ボサボサ頭の人、昭和の映画の大部屋俳優だった人、子煩悩だがホンモノの反社会勢力の人とか)なんか、おぼろげな像が浮かんでくる。あらためて、よくわが身は持ちこたえ、生き延びたものだ。著効になっている人もいただろうが、多くは不明な方々であり、明るい表情はしていなかった。鬼籍の方もいるかもしれない。

昔、見舞いに来てくださった方や、病院で出会った方で、住所をひかえてある方は、この夏に礼状を出そうと思う。

4.ペグリバ前のインターフェロンとリバビリン2剤併用療法で東大病院に入院していたとき、湘南の人でサトウさんという方がおられた。退院後、再燃されたが、2014年ころにペグリバで著効になられたとおもう。正直、羨ましかった。なぜ自分は治らないのだろうとわが身をせめたものだ。そして肝炎から遠ざかり、無関心を装った。おまけに大腸がんにみまわれたから、さらに遠ざかって行った。今の治癒につながる肝炎のお仲間、とりわけakioさんから交流会のお誘いコメントをいただいたときも、無駄じゃ無駄じゃと、自分の肝炎は治るわけないと決め込んで、伺おうとはしなかった。

5.今、そのサトウさんにお便りを出したいとおもっている。70歳くらいか?サトウさんとはいい対話がてきた。後妻と子どもとの確執とか、うっすらと話されていて、人生は難しさを感じさせたな、、美しい不忍池を遠望する食堂での語らいだった。

6.散文詩的断想を、、1日に数千億の細胞が生死する身体は動的平衡を保っている。ステージの右手から左手に流れ去る平衡という映像のように感じていたが、たぶん違う。それは円環であり、回転軸のようなイメージの方がいい、、中心軸から細胞が生じてきて、遠心力で広がり、代謝する、、そういうイメージだ。宇宙はそのように生々流転しているだろうし、プロティノスのいう「一者」も、そのようなイメージに切り替えよることにしよう。。



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