わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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順天堂「がん哲学外来」について

がん哲学外来が順天堂にできて、予約で埋まっているようです。

担当は樋野教授という方で、無料外来、とあります。

お金にシビアな順天堂にしては、ちょっと信じがたい。
診療報酬の制度から、有料にできないのかな?

そのウェブサイトをみると開設の趣旨が、次のようにありました。
そのまま引用します。

「がん」の研究の目的は、
「人のからだに巣食った癌細胞に介入して、
その人の死期を再び未確定の彼方に追いやり、
死を忘却させる方法を成就すること」にある。

『最も剛毅なる者は、最も柔和なる者であり、
愛ある者は勇敢な者である』とは
「高き自由の精神」を持って
医療に従事する者への普遍的な真理であり、
「他人の苦痛に対する思いやり」は、
医学・医療の根本であると考える。

「科学としてのがん学」を学びながら、
「がん学に哲学的な考え方を取り入れていく
領域がある」との立場に立ち、
『がん哲学』が提唱されるゆえんである。

そこには、「考え深げな黙想と真摯な魂と輝く目」が
要求される。
この風貌こそ、現代に求められる
「がんに従事する者の風貌」ではなかろうか。


『何かをなす( to do )前に、
何かである( to be )ということをまず考えよ』
ということが大事になってくる。

これからの「外来」は「幅広い守備範囲」を持った、
「名詞」から「形容詞」の時代となろう。
「がんとの共存」の時代に、
『がん哲学外来』はまさに、
新しいタイプの時代の要請と考える。

・・・・・・・・・・・・・・・

「がん哲学」という言葉の響きに共感はするのですが、
その趣旨には、微妙な違和感があります、、、

何かが違う、、、

ベクトルが違う?

たとえ、医者であれ、、
がんを患ってもいないヒトに、はたして
がんを哲学することができるのであろうか?
と素朴に思うのです。

また、唐突ですが、
プラトンの哲人政治は
哲学する人が政治に関わっていくことを理想
とするものですが、

これを無理やり、哲人医療(がん)とした場合
「哲学する人がガンにかかわっていく」こととなるのでしょうか。
医者が哲学する人になる可能性より、
ガン患者その人の方が、はるかに哲学する人になる可能性が高い。

それに、
『何かをなす( to do )前に、
何かである( to be )ということをまず考えよ』の意味が不明です。

もっと噛み砕いて、ウェブサイトに掲げていただくと
ありがたいと思う次第。

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