わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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司馬遼太郎と梅原猛 対談その3

坊さんは柄が悪い

司馬遼太郎
日本人の伝統的な精神生活が、そういう職業人の手に握られていることは、さっきおっしゃった新しい原理の模索という上で、非常な障害になりますね。



梅原猛
坊主の子が坊主になるという世襲制が最大の悪をなしているんです。この間東本願寺の騒動(大谷光紹神門の管長就任をめぐる紛争)も結局それですよ。血の原理だというけれども、親鸞が説いた原理にそんなものはない。野垂れ死にしてもかまわんというのが親鸞の考え方ですからね。

坊主の子でイヤイヤ坊主になっているのが多い。おまけにその世襲制が人材の流出を阻んでいる。ぼくのところへ来る若い人で宗教的情熱に燃えているのは沢山いるんだけれども、そういう人材をはじき出しているんですね。とにかく坊主の子が坊主になるという世襲制をやめない限り、まずダメですな。

司馬遼太郎
ダメでしょうなあ。坊さんがテレビに出ているのを見ても、どうも品が無いというか、柄が悪い感じですなあ(笑)

本願寺あたりの宗会議員の選挙帳簿なんかの顔写真の羅列をずっと見ていくと、どうもいい顔が少ない。警察の手配写真みたいな(笑)そんなことをいうと叱られますけれど。世襲寺では無気力な子どもできると、これなら飛び出さずに寺を継いでくれるだろうといって、家族もよろこび、檀家もよろこぶ。気力ある若い人は外へ飛び出したがる。たまに気力あるのが寺を継ぐと、エネルギー のはけ口にこまって、教団内の宗政の方に興味をもつ。現状はそうじゃないでしょうか。


梅原猛
小さな寺を継いだら一生そこの坊さんでいるわけで、宗政でもやらんことには他にエネルギーのはけ口がないんですよ。陰の政治家になったりしているのをみると、才能の浪費、もったいないと思いますね。

司馬遼太郎
新聞の見出し式でいえば、「法灯ゆらぐ」といったふうのお寺騒動がありますけれども、あれに首をつっこんだら四十すぎて道楽と同じでおもしろくてやめられんそうです。だから東本願寺の騒動みたいなことが起きるわけだし、いったん起きると精力的につづいちゃうんです。

話はかわりますけれど、ときどき変だなと思いますのは、たとえば金閣寺なら、金閣寺というのはだれのものだろうということです。そこへ見物にいくと、何百円かの奉納をっせられるでしょう。銀閣寺などは写真をとっても金をとられる。

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