わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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司馬遼太郎と梅原猛 対談その2

水平思考は逆輸入

司馬遼太郎
うん、あれは付帯説明が要ります。いままでのさまざまな着色レンズ、、思想というかイデオロギーというか、、をいったん蹴飛ばして複眼で見なければ、いまの文明の段階はわからないという意味です。本当にわかりません。しかし複眼でみるといまの文明は地獄であったりする。

この地獄は複眼で直視しなければいけません。しかし直視しただけでは問題はどうにもならない。極楽をどう幻想するかという問題がつぎにはじまらなければならない。極楽というのは、この文明を救済する原理もしくは思想の意味です。


梅原猛
西洋でも、これまでの自分たちの原理に不十分なものを感じて、いままで無視していた他の文明の原理を考え直してみようじゃないか、という動きが強い。そこから仏教やヒンズー教に盛んな興味をもつ人が多くなった。いまや逆に西洋の方が東洋の遺産を吸収しようと真剣ですよ。たとえばいま流行のデボノ博士の水平思考法なんていうのも、もとはといえば鈴木大拙さんの書物からヒントを得ている。それが逆輸入されて日本人は喜んでいるわけで、、

司馬遼太郎 ほう、それは面白い。

梅原猛
日本はいま文化的に、非常に有利な条件にあると思うんです。つまり、日本は西洋文明を百年の努力によってかなり理解できる。
と同時に東洋文明も、聖徳太子以来の先人の努力によって、これまたかなりの程度理解できる。

二つの文明を支えてきた原理を土台に、人類が新しい文明の原理を模索して行こうとしている時代に、両方かなり理解できる日本は非常な文化的チャンスに恵まれていると思うんです。

司馬遼太郎
なるほど。そのチャンスを生かすためには、既成の仏教団にここらで一度、店を閉めてもらわないといけませんな(笑)

たとえば私、どう考えてみても禅というのは天才のための道だと思うんです。十万人が禅をやって一人ぐらいが悟りに入れるように思うんで、やたらと禅をやれやれと宣伝すべきものではない。あとの普通の人間はもとの木阿弥、それどころか、もとより悪い人間になるんじゃないか。なにかそういう毒素みたいなものを、禅というのはもっているように思います。

新聞記者をやっていたころ、職業上の必要から禅宗の坊さんにずいぶん会いましたけれども、何人かをのぞき、これは並以上に悪い人間じゃないかと思うことが多かったです。禅宗に多少関係したことのある友人の作家に、禅をやって悟っているの十万人に一人ぐらいじゃないかと聞いてみたら、いやそれより少ないんじゃないかといっていましたが(笑)、禅というものを、きわめて毒性の強い、天才のための道だという風に覚悟をきめて見直す、それには既成のお寺さんにはいったん店を閉めていただく、そうしないといけないんじゃないか。

禅だけでなくお念仏ならお念仏で、だいたい仏恩報謝、お念仏を唱えさえすれば救われるなんて、僧侶のほとんどが信じちゃいませんでしょう。これは本願寺でもどこでもそうですけれども。


梅原猛
よく坊さんに頼まれて講演にいくんですが、坊さんよりも信者の方がずっと熱心にこちらの話を聞き入れてくれる。子どものころからお寺の裏を見ているとああいうことになるのかどうか。頭のいい坊さんになればなるほど割り切っていて、「どうせ仏教はもうダメですよ」なんていっている。ダメなら坊主をやめればいいと思うけれども、、、(笑)



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