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直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
TOP読書と映画のこと ≫ 司馬遼太郎と梅原猛の対談その1

司馬遼太郎と梅原猛の対談その1

二人は1970年1月に対談をした。それをそのまま全文を載せておきたい。ちなみに、
司馬遼太郎 1923年8月7日生〜1996年2月12日死
梅原猛 1925年3月20日生〜

対談のタイトルは「西洋が東洋に学ぶ時代」とある。文春文庫の「司馬遼太郎対談集 日本人を考える」に収められている。

司馬遼太郎
坊さんの話、今日はひとつ、それをいかがですか。仏教とか宗教というと、あまりわれわれの生活に関係がないようにみえますけれども、実は大ありかもしれません、創価学会といったふうな思想なり勢力なりの問題もありますし、、、


梅原猛 ええ、ええ。

司馬遼太郎
なんですか日本も含めて世界的に原始仏教の研究が始まっている、つまりサンスクリット語の仏典は残っていないにしても、それに近いチベット語の教典に当たって原始仏教をきわめようという動きが始まっているそうですけれども、そういう動きはいったいどこからきているのでしょうか。


梅原猛
やはり新しい価値体系というか、新しい原理が世界的に模索されているということでしょうね。日本の場合でいうと、明治百年の間、西洋文明の輸入に全力をあげてきた。けれども、ここへきて西洋文明そのものに行き詰まりができている。私、最近ハワイでおこなわれた学会に出席して、何人かの西洋の思想家と話す機会をもったんですが、西洋人自身が西洋文明の行き詰まりをつよく感じているんですね。近代合理主義でもやっていけないし、キリスト教でもやっていけない、、二重の懐疑に襲われているんです。

私の研究発表のとき、西洋人から、キリスト教の神はクルーエル(残酷)な神ではないか、という質問があった。私もそう思うが遠慮して黙っていた、といったら大笑いになったんですよ。

いまは日本を含めて世界的に新しい文明の原理が求められつつある時代だと思うんです。この前の、(司馬遼太郎さんと)と梅棹さんとの対談では、無思想時代がやってくるとおっしゃっていたけれども、無思想時代になるとぼくら哲学者の商売があがたりになって困っちゃうわけで、、(笑)

水平思考は逆輸入

司馬遼太郎
うん、あれは付帯説明が要ります。



以上、その1。つづきは明日。
1970年は、大阪万博があり、三島由紀夫が割腹自殺した年だ。11月25日の昼頃か、私は自分の高校の図書室にいて、突如校内放送で、「いま三島由紀夫が自決しました」という声を聴いた。隣にいた生徒が「あぁ、やっちゃったか」とつぶやいたのを覚えている。

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