折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
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続、国府台病院の不思議

1.「文学の遠吠え」という個人のサイトがある。森敦の「意味の変容」を読んだあと、いろいろ思考していて、そのサイトに遭遇したのだ。難解な「意味の変容」を感想していて、理解が深いことに驚嘆した次第。

こういう書き出しだ。

森敦『意味の変容』読了。

「任意の一点を中心とし、任意の半径を以て円周を描く。そうすると、円周を境界として、全体概念は二つの領域に分かたれる。境界はこの二つの領域のいずれかに属さねばならぬ。このとき、境界がそれに属せざるところの領域を内部とい、境界がそれに属するところの領域を外部という」(森敦『意味の変容』ちくま文庫 23ページ)

と言う文章があって、この文章を様々に変奏、展開、説明すると言うようにして書かれていく小説。舞台は光学工場、ダムの工事現場、下町の印刷工場などと様々に移り変わるが、聞き手の小説家に対して市井の一労働者である話し手が、それら変遷する職場での経験を組み込んだ上記引用の言葉に集約される「哲学」を語っていくと言う体裁になっている。

ここで引用した文章では、つまり世界は「世界」と言った瞬間に内部と外部に分かれてしまう言っているのだ。世界を「世界」と区切った瞬間に世界は内部と外部に分かたれるが、しかし世界を「世界」と区切ったものにはその「世界」を世界と区切っている境界が見えないと言うことであり、その境界線を見るためには、「世界」の外部に立たないとならないと。が、境界線を見るために外部に立つと言うことは、そもそも「世界」を区切ってしまった任意の一点を無効にし、そこから発する任意の半径を放棄することでもある。そしてそれは不可能なことでもある。不可能なことを、いかに実現するか。


2.全くもって見事な読みだ。「文学の遠吠え」の管理者であるTMさんは、市井に棲む読書家であり、かつ多くの感想を残されている。読書が人生の中核と書かれていた。読書により外部に立つことができると信じておられるのではないか、とわたしは思っている。

3.森敦のいう「世界」は、家庭、会社、学校、習い事の教室、何らかの所属団体といったあらゆる物事にあてはまる。その大小は関係なく「世界」は生成する。四半世紀の4つ大病院は、みなこの意味での「世界」を形成していた。ところがだ、国府台病院では、その感覚が稀薄なのは何故だろう?

4.7月下旬に大規模な引越しがあり、すでに真新しい建物に移っているが、8月下旬の診察なので、まだ様子はわからない。新しく、順番を知らせる電光掲示板みたいなものはできただろうか?無論、言いたいのは、そうした目に見える物理的な世界のことではない。診察まで、待つことは待つが、さして苦にならない。沈黙している人たちが多いが、、誰かしら、小声で病気の話をしたりしている。そうした空気が不思議なのだ。

5.国府台病院は、高圧な感じはしない、敷居は高くない、肝臓病スペシャリストが結集していることから、24年の経験知とは異なる感じがしたのは確かだ。しかし不思議な空気を感じさせた要因は、それだけではないだろうが、、それはまたあらためて、、



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