折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
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国府台病院の不思議

1.24年の長患いだった。その最初は1991年、初期のインターフェロン治療で入院した御茶ノ水の順天堂病院は3週間。2度目は、2003年インターフェロンとリバビリン併用療法で入院した東大病院は2週間。さらに3度目は2014年のシノプレビル三剤併用療法で入院した武蔵野赤十字病院は4日間、、C型肝炎で3つの病院の世話になった。さらに、2010年5月に直腸がん手術で、NTT関東病院に2週間した。ちなみに、順天堂病院とNTT病院では、医者には言わなかったが突然、閉所恐怖症になった。そんなわけで四半世紀、4つの大病院を知ったのだ。

2.振りかえってザックリとした印象は、、
91年当時の順天堂病院は高圧的なものがあったし、やたら待たされた。2003年の東大病院は、頭のいい人たちのせいか、これまた敷居が高く、あとでわかったが、そのとき大腸内視鏡をやってくれてれば、と悔やまれる。配慮も、プロトコルも、なかったのだ。そして2014年の武蔵野赤十字病院は泉先生以外は医師全体が稚拙で、医師養成課程の中で素材として患者は置かれているし、薬剤耐性の機微がわかっていないと見切った、いささか唖然とした。但し乾癬はここの皮膚科、溱原先生の処方のおかげで治癒に向かった、感謝。いいたいことは、いずれもその病院に行かないと決めてから、そう評価ができるようになることだ。病院という、一種のタコ壺から出て、徐々に外部目線になり、時が過ぎると加減がわかる。

3.そして2015年の今年7月から、厚労省直轄の国府台病院で、ハーボニー治療のための準備に入った。肝機能等は落ち着いていることから、たぶん入院はせずに、ハーボニー治療ができるだろう。入院しなくてすむことは大きい。実は、2014年の武蔵野赤十字の4日間入院は、当初1週間と言われたが、それは意味ないでしょうと主張し、強引に短縮してもらった。わたしのC型肝炎は、もう入院は要らないと、妙な言い方だが、60兆細胞のわが身体がそう言っていたのだ。

4.さて掲題だが、病院といのは、どこもそれぞれ、ひとつの世界を形成している。壺中の天をなしている。初診で診察券を渡されたときから、見事に壺中が始まる。その病院の仕組みに乗せられ、わたしたち患者は一種の弱者になる。対等ではなくなる。作家森敦さんのいわれた「意味の変容」がおきる。世界を感じた瞬間から外部、内部、境界が必ずできてくるのだ。

5.ちなみに「壺中の天(こっちゅうのてん)とは、「後漢書-列伝第72、方術伝下・費長房」に見られる故事である。 時代は後漢、汝南の町に費長房という男がいた。 彼が市の役人であった時、その勤める市場で、一人の薬売りの老人と邂逅する。 その老人は壺公という名で、夕方市場の仕事を終えると、店頭に掛かったひとつの薬壺の中にすうっと跳び入ってしまうのを、ある日彼は目撃するのである。」という話からきている。

6.そして不思議なことに、初めて国府台病院に行ってみて「壺中の天」という感覚がなかったことだ。

つづきは次回に。



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2015年08月11日(Tue) 21:53












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