わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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肝炎と「シーシュポスの神話」

40年前に読んだカミュの「シーシュポスの神話」が、このところよく浮かんでくる。そのことを、、

1.その神話とはこうだ。
神々がシーシュポスという男に科した刑罰は、休みなく岩を転がして、ある山の頂まで運び上げるというものであった。ところが、ひとたび山頂にまで達すると、岩はそれ自体の重さでいつもころがり谷底に落ちてしまうのであった。それがなんども繰り返えされる話だ。

2.ポールニューマンが主演した映画「暴力脱獄」の中で、刑務所の中で見せしめに、刑務官がポールニューマンが演ずる服役中の男に一人で大きな穴を掘らせる。掘り切ると、別の刑務官が現れ「穴を埋めろ」と言う。埋め終えると、最初の刑務官が現れ「まだ掘っていないのか!掘れ」と命ずる、、そういう場面があったと思う。その嫌がらせが延々と続く。最近、これってシーシュポスと重なっているなと気づいた。

3.そして私の場合、4歳から5歳になる頃だと思う。両親の離婚も影響していたのかもしれないが、日常、ヒリヒリする感覚があった。言葉はおぼつかなかったが、頭の中は置かれた環境を理解できた。ある日、保育園の滑り台を滑り降りたところで、仰向けになって青空を見ながら、こう嘆いたのだ。
「①なんで自分の名は、そういう名前なのだろう、②あの恐い母は本当の母なのか?③また人生の坂を登るのか、④今は何がなんだか、わからなくても、こう考えたことをしっかり回りを見て覚えておこう」と。つまり自分は今、谷底にいる。繰り返しだという感覚だった。受刑者とは思わなかったが「シーシュポスの神話」は他人事ではなく、自分のことだ、、そう感じていたのだと記憶がよみがえるたびに思ったものだ。

4.さて、ハーボニーでC型ウィルスが除去できたとき、それはシーシュポスが重い岩を背負って、頂上に登りつめたときと通底しているのではないか。そして、ふたたび奈落に岩が転がってしまうように、肝臓や他の臓器に新たな問題がおきてくるのではないか。24年間患っていた病いが消えて、きれいさっぱりと肝臓の病いと関係がなくなる、、なんて甘く考えない方がいい、、だろう。これは業病であり、油断大敵と思わねばならない。

以上、なんとも悲観的な肝炎神話でした。



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