わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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選択と決心

1.小学4年の長女は、小学校の合唱団に入っている。この夏、二つのコンクールに参加していて、内一つはテープ審査の予選を通過したようだ。小さい頃、格別歌うことが好きだった感じはしなかったが、毎朝の練習で7:30に家を出て行く。寝坊助だった生活のリズムが劇的に変わり、目的意識が芽生え、次第に上級生の行動になっていく。いい変化だ。

2.2月にC型ウィルスの再燃が分かり、すぐダグラ/アスナに飛び移りたくなる気持ちを抑え、ハーボニーを待つ判断は意味のある大きな選択だった。もし担当医師が「次にダグラ/アスナをやりましょう」と言っていたら、やっていたに違いないのだ。それほど再燃は衝撃だった。

3.毎日はこうした選択の連続なのだと誰もは思う。ところがアランは幸福論の中で、「だれも選択などしない」と言っている。こうだ。
「選択したのは誰か。わたしはそれを問うてみる。誰も選択したのではない。わたしたちはみな、はじめは子どもだったからだ。誰も選択はしなかった。しかし誰もまず第一に行動したのだ。こうして、職業への適性は自然と環境とから生じる。それゆえ、あれこれ思案する者は決して決定しないものである。学校でやる分析ほど馬鹿げたものはない。動機だの、原因だのばかり詮索する。(中略)だれも選択などしない。みんな歩いているし、どの道も間違っていない。
生きるすべは、なによりまず、自分のした決心や自分のやっている職業について、自ら文句を言わないことにある、とわたしは思う。そうではなくて、自分の決心や職業をちゃんとやってのけることだ。
わたしたちは、自分がしたわけでもないのに、すでになされているこれらの選択のうちに、宿命を見たがるものだ。しかし、これらの選択はすこしもわたしたちを拘束しない。といのは、悪運などというものはないからである。良くしようと思えば、どの運もよくなるものなのだ」


4.選択は小賢しい理性のなせるわざ、対する決心は実存の内部にある。アランの言葉は、選択を忌避し、あとになって文句を言わない決心と行動が大事とわたしは解した。長女は友達といっしょに何かしたいから合唱をはじめたわけだし、わたしがハーボニーを待ったのも、選択ではなく、完治はこれしかないと決めた瞬間があったわけだ。5年前もそうだった。見る前に飛べ!と閃光のような一瞬の決意をいだいて直腸がんに立ち向かった。そのことをふと思い出した。

以上、わたしはいったい何を言っているのだろう。未来のわたしなら、きっとわかることだろう。



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